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 知人のゆらりひょんさんのブログにて、 一冊約八十万円という図書館の写真ばかりを集めた特装本『Temples of Knowledge』が紹介されておりまして、そこから著者Ahmet Ertugのサイトへ飛びますと、一部が閲覧できるようになっております。
 一枚一枚眺めているだけでも、ほうとため息が出てしまう知の集積所であり、揶揄であったとしても「象牙の塔」などという力強くも美しい形容が何故用いられたのかがわかる気がしてきます。
 かつて書物は財産であり力の象徴でもありました。特に印刷技術が発達する以前の中世においては、知識はごく限られた場所にしか、写本という形でしか存在しませんでした。
 これは書物といいますから、なんとなく青白い、脆弱なイメージを与えるかもしれませんが、たとえば地図や各地の人口や作物収穫量の調査統計も含まれると考えると、より実感をともなうのではないでしょうか。現在ではだれもかえりみることのない『○○町史誌』のような書物も、それしか参照するものがないとすれば驚異的な一冊となるわけです。
 修道院に図書館が多い理由も、日本の荘園制度などを考えていただければ分明のことだと思います。それだけ、ヨーロッパの修道院や寺院という場所は、周辺地域の統治に利用されていたというわけです。
 そこに古代からの狩猟文化の発展である製革技術があいまって、価値ある書物の伝統が作られてきました。
 聖書からはじまり力を秘めた書物という発想も同時に起こってきたのでしょう。そして、それを収める図書館に対する畏敬視が生まれたのも同様のことだと思います。
 バスチーユの牢獄にかの『百科全書』が、多くの政治囚(マルキ・ド・サドも「同窓」であったといいます)と同様に収監されていたという事実も、こうした本の価値に対する畏れの顕れの一つといえるのではないでしょうか。
 本好きにとって、一冊の本に対して、たとえ現代とは事情の異なる往昔の時代においてであれ、内容以外でなんらかの価値観が付与されていたことは、少なからず背筋の冷たくなる思いを抱かされずにはいられません。
 けれども、例えばホルヘ・ルイス・ボルヘスの「バベルの図書館」やウンベルト・エーコの『薔薇の名前』といった作品が、少なからずこうした書物・図書館感覚を踏まえた上で成り立っていると考えるとき、不寛容の歴史も血の臭いから離れながらも自覚して手に取らなければならないのかもと思えるのです。
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コメント

No title

毎日のようにこのサイトを眺め、溜息をついております。
物としての書物の歴史の違いをあらためて感じますね。
ああそれにしても!
これらの図書館全てを巡ることを考えれば80万は安い…?などと
考え始めた自分にブレーキをかけるのに必死です。

コメントありがとうございます

>ゆらりひょんさん
「たかが本、されど本」
このたかがとされどが実はイコールでつながっているというあたりが、日本人には非常にわかりにくい気がします。
昔は親が「本は大事にしないといけない」というような叱り方をしましたが、いいかえるとそれは本が価値として重きをおかれなかった歴史があるようにも思えるのです。

でも、80万は実際特装本と考えれば安いと思います。
私の場合、思っても手は出せませんが……

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愛書家の夢、或いは悪夢

なんと1冊80万(!)の図書館の写真集。まずは値段に驚いて、写真を見てさらに目が眩む。絢爛豪華な図書館&図書館&図書館…。 http://www.hirobur...
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