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それはブルースでもなくロックでもなく歌謡曲でもなく

 歌手野坂昭如の実態といいますと、なかなか判然としがたいものがあります。
 感情の起伏の少ない朴訥とした歌い方は、なかなかに厳正な評価を下すのを憚らせるものがありますが、ここは昔ながらの味のあるという形容に助けてもらいましょう。
 その味のある歌唱をたっぷり堪能できるアルバムだけでも十枚以上(編集盤除く)を制作し、持ち歌は100曲を超え、武道館でのコンサート経験を持つときますと、本人が鼻高々に語るようにアマチュアではなく玄人であるといってしまっていいと思います。
 時代を経て忘れ去られる歌手というわけでもなく、長谷川きよし、加藤登紀子、桑田佳祐、大竹しのぶと歌い継がれている「黒の舟唄」は別格としても、戸川純が昭和のワンシーンとして切り取った「バージン・ブルース」もありますし、クレイジーケンバンドは楽曲だけでなく本人へのリスペクトを惜しまず「青山246深夜族の夜」というイベントで共演を果たしており、時と人を越えて歌・本人ともに強く記憶に残るインパクトを持っているのは事実です。
 それでもなんとはなしに歌手野坂昭如を語る声が控えめになるのは、聞いた人にある種の戸惑いが湧きおこるからでしょう。

 野坂昭如の本職はいうまでもなく作家です。
 嘗ての肩書きが今も生きていれば文豪と呼ばれるべき人物であり、そうした観点からすれば、歌手という立場は玄人であるかもしれないけれども余技という扱いにしておきたい部分があるように思えます。
 そのあたりが歌手野坂昭如という字面を前にした時の戸惑いの正体な気がします。
 また野坂昭如の歌は大部分を能吉利人という変名でコマーシャルソングなどで偉大な才能を発揮した作曲家桜井順(エースコックの「ぶたぶたこぶた」や富士フィルムの「お正月をうつそう」を作詞作曲された方です)が作詞も担当しており、野坂本人はまったく関与していないという事実もそうした余技的な見方を助けるのでしょう。
 しかし、単に野坂昭如が文筆の合い間に、人心地つくために、もしくはインスピレーションを得るために歌手活動を行っていた、というだけにはどうも考えられないのですね。
 それは歌と歌にはさまれるMCといいますか説法といいますか、聴衆に向けて発せられる一連の言葉があるのですが、「若い者なんてすぐ死んでしまうんだから、これからは老人の時代ですよ」なんていうのに象徴的なように、いろいろな文章で目にするような実に野坂昭如的な大真面目に人を食った逆説的なメッセージに溢れています。
 じゃあMCだけ取り出せばいいかというと、やはり歌にはさまれているからこそ存在した言葉であって、歌手活動とは不可分で切っても切り離せないものになっています。
 作家野坂昭如を知るという意味からも、『エロ事師』からはじまる膨大な作品群の理解を深めるためにも、歌手野坂昭如を聞き込むことはとても重要なものなのです。それは、これからは一層。

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テーマ : 文学・小説 - ジャンル : 小説・文学

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