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椎名誠『アド・バード』

AB_FC.jpg 友人の騒風改さんのおすすめで、椎名誠のSF3部作を読んでおりました。
 椎名誠は高校時代に、やはり友人のすすめで『哀愁の町に霧が降るのだ』を読んだきりで、以来ン十年ぶりに手をとった次第です。
 どこかで「SFも書いている」という話はうかがっていたのですが、早合点でモンゴルなどの紀行文と並行してそうした小説作品も発表しているものだと思い込んでいて、実際には『アド・バード』を1987年に連載発表したのを嚆矢としたと初めて知り改めて驚いた次第です。
 その『アド・バード』からはじまり、『水域』『武装島田倉庫』にいたる3作品を椎名誠のSF3部作と呼ぶとのことで、今回1週間ほどかけて3冊を一気に読了いたしました。
 いや、おもしろかった。
 3部作とはいうものの、作品間の直接的な関連は極めて薄いと事前情報を得てはいましたが、全編に通底する雰囲気のようなものがあり、それぞれで切り離しにくい一貫性が感じられました。
 というわけで、これから3回に分けて、ぼつぼつとこの椎名誠SF3部作の感想を書いていきたいと思います。

『アド・バード』(初出:『すばる』1987年9月~1989年12月。単行本:1990年3月)
 栄えある3部作の開幕は、その華々しい語感からは縁遠い、胸苦しい薄暗さに覆われた世界の物語です。
 舞台はなんらかの崩壊のあった後の地球の、おそらく日本と思しき地。空には厚い鈍色の雲がくまなく覆い、一日のうちわずかに日の出の時刻にしか陽光が射し込まない。大地にはコケとも粘菌の類ともとれない独自の進化を遂げた植物や、鉱物とのハイブリッドを果たした昆虫がそこかしこを埋め尽くし、時には人間にまで牙を剥く。
 絶対的な個体数が激減した人間は、それでもところどころでかつての街に立てこもり、ひっそりと暮らしていた。
 K二十一市に住む青年マサルと菊丸の兄弟も、息を殺し日々の暮らしをどうにかたてていました。
 木の枝一本折るだけでもとても見合わない苛烈な罰が与えられ、食糧や水でさえも合成された代物があるばかりで、それですら先細りの気配が色濃く出ていましたが、それでもここで過ごせば屋根と寝床と、なにより見知った人々との触れ合いは確保されていました。
 しかし、ある事態がふたりを、そうした緩やかな死から引き剥がし、別天地への旅へと誘うことになりました。
 死んだとばかり思っていた実の父親が生きているかもしれない。
 その情報にふたりは飛びついたのです。
 そうして、具体的な場所も知らないマザーK市への旅ははじまったのでした。
 この出立の直後から、読者は、このなんらかのカタストロフを迎えた世界が、単なる大破壊後に自然のオーバードーズにさらされただけではないというのを知らされます。
 それはあちこちに残された文明の残滓が、残滓と呼ぶにははばかりのあるほどに自己主張を激しくしているからです。
 大地を空を、そして海までも、あらゆるところにはびこっているのは広告でした。人口飽和の時代を過去に置き去りにして、最早見るものとてなくなった広告だけが、物を人を技術をサービスを、視角や聴覚に訴えかける派手な趣向で宣伝し続けているのです。
 おまけにこの広告は生きています。動物や植物を、サイバネティクスやナノテクノロジーを(余談ではありますが、『アド・バード』が発表された時期にはまだこれらの単語は一般的とはほど遠いものでした)駆使し、状況に応じて体毛を変化させたり、群れの集成をねじ曲げて幾何学的な模様を描けるようにしたり、さらには人間の言葉を発せるようにすらして、何世代にも渡り広告をうてるように作り変えたのでした。
 マサルと菊丸は、その主張しようとする宣伝内容の意図はまったく理解できないままに、かつての科学の粋に翻弄されながら、多くの人と出会い別れをくり返しつつ、目的地である大都市マザーK市へと足を進めていきます。
 無情にも襲い掛かってくる自然と、そして広告に行く手を阻まれながら。

 冒頭の数ページを読んでまず思ったのは、文章が皮膚に訴えかけてくるということでした。
 生まれ育った町を捨て旅立とうとしているマサルは、前途洋々とはいえないものの、希望や解放感を味わっているのですが、それに覆いかぶさるような言葉にしがたい圧迫が一文一文からたちのぼってくるのです。
 文章になっているのに言葉にしがたいとはおかしいじゃないか、と指摘されるかもしれないですが、この不可思議な現象を可能にしているのが怒涛のように襲いかかってくる固有名詞の山です。
 ねご銃、個人大型住宅殲滅隊、ヒゾムシ、フンボルト式薬爆銃、ブルブワズエキス熱水抽出液・万全、アド・バード、ハリフクミ、カレハガール液、ヌル貝、ベカ舟、腐蝕ガス……
 冒頭の一章でもこの程度の名詞が現れ、それは時に命をも脅かす危険極まりない代物だったり、かと思えば逆に命をつなぐ物質だったりするのですが、特に説明もされないままに通り過ぎていきます。
 ですので読者は語感だけでそれを受け入れざるをえず、なんともすわりのわるい思いを抱きながら物語世界を進んでいかなければなりません。
 文章はあるのに言葉にしがたい感覚というのはそういうところです。
 けれども、このわからない単語を手さぐりで読み進めるおかげで、マサルと同じように、かつての高架高速道路から見下ろすヒゾムシのどれだけ潜んでいるかわからない湿った大地を不気味にながめ、頭上で蠢く雲にのしかかられている気ぶっせい感覚を味わう準備が整ったように思えます。
 そしてこの重苦しさを共感できるからこそ、その後のカタルシスが万全に機能しているのでしょう。
 詳しくはいえませんが、この『アド・バード』は読み手の心地よさにかなり重きをおいて書かれている小説で、中だるみをしだしたなと思いはじめたあたりで、根本的に視点の変わる仕掛けがほどこされています。
 おかげで、いかにも暗くやりきれなかったはずの物語も、終わってみれば読後感は爽やかです。
 たしかに椎名誠のSFは自他ともに認めている通り、サイエンスフィクションとしての理屈の薄さは否定しきれないものがあります。
 しかしSFのガジェットが多くこうした文章を通した体感に結びついて迫ってくる、つまり一時的な仮想とはいえSFが血肉にもぐり込んでくる感覚を味わえるのもまた事実だと思います。
 だとすればやはりこれはまぎれもないSF小説だと思わざるをえないのです。

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