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林家たい平のこの一席

「この一品」というものをどなたもお持ちかと思います。
 あくまで享受者としてのスタンスからですが、この歌手ならこの曲、この画家ならこの一枚、この小説家ならこの一話……。
 水が合うといいましょうか、自分の感性とぴたり合致して、そのひとつをきっかけとして作家全体を見る立ち位置が定まる、あらゆる起点となってくれる一品です。
 大体、そういうものに出会いますと、強烈な感銘に打たれて、「これは!」というひとことが口をつかずとも響いてきます。
 林家たい平師匠の「不動坊」を初めて聴いた際に起こったのが、まさにこの「これは!」でした。

「不動坊」もしくは「不動坊火焔」は、もとは上方落語の一席でしたが、三代目柳家小さん(漱石が『三四郎』でとりあげたあの小さんです)によって関東に持ちこまれ、現在では上方・江戸、どちらでもかけられる噺となっております。
 演題の不動坊とは講釈師の名前なのですが、当人は噺の中に一切登場しません。それどころか、噺の開始されるひと月も前に旅の果てに客死したことがさらりと告げられて、それっきりでどんな人物であったのかの描写ひとつありません。
 いえ、たったひとつ、芸事に生きる人間の常として、大きな借金を拵えていたことが明かされます。
 噺はこの講釈師不動坊火焔の妻が、遺された負債に困り果てて、長屋の大家のすすめで蓄えのある吉という若い衆と再婚が決まったところから口が開かれます。
 もとからこの奥さんは、美人と評判で、吉も常々憧れていたために話はとんとん拍子に進み、その日のうちに仮祝言というところにまで到ります。
 ところが、なにしろそういう長屋のアイドル的存在ですから、他にも後釜をねらっていた男はいくらでもいます。その連中が妬みの炎に焼かれ、なんとかこの話を破談にさせないことには気が済まないと鳩首相図って方策を練ります。
 そして決まったのが、不動坊火焔の幽霊をこしらえて、吉を驚かして、こんなおっかないものに取り憑かれた女なんてまっぴらごめんだという方向に持っていかそうという計画でした。
 早速幽霊役に売れない落語家を迎え、高座での経験を頼りに、種々の準備を整えていきます。するうち、いよいよ夜も更けてきますと、吉の家の裏手に集まり、力を合わせて幽霊を半ば吊るしあげて、細工は流々後は仕掛けをごろうじろ……といくはずでした。
 なにしろ急造の計画ですから、そこでひと悶着が持ち上がり、わいわいと騒いでいるうちに吉もそれを聞きつけて、ごった返すなかで幽霊の仮装との御対面となります。
 噛み合わない会話を半ば浮かんだ幽霊役の落語家と吉が交わすうちにも、どうにか「四十九日も済まぬ内に後添えを迎えるとは恨めしい」と因縁を含めることに成功します。けれども怖ろしさが募り、半ば自棄になって「性質の悪い借金遺して死んだ分際で偉そうなことをぬかすな」と夢中でつかみかかります。
 浮いているとはいいましても、人が屋根の上から数人がかりで持ち上げているだけですから、バランスのわるいところで思いもかけぬ力が加えられてはたまったものではなく、全員体勢を崩して落っこちてしまいます。
 幽霊だとばかり思っていたところが、近所の知り合いばかりがぞろぞろと目の前に現れ、瞬間的に謀りごとに勘づきます。ところが、そのうちにひとりだけ、見覚えない人物がいます。
「あっしは頼まれました落語家でして」
「あんた、師匠ともいわれるような御大層な方でしょう。それが、こんなくだらない計画に乗るなんて……。いっちゃなんですが、あんたもあんまりしっかりした方じゃないですな」
「へえ、最前まで宙に浮いておりました」

 はじめ「不動坊」を聞いたときにはどこで終わったのか、正直よくわかりませんでした。地に足がつかない、という意味を含んだサゲだと考えがいたったのはしばらくしてからでしたが、以降もなんだかしっくりこない噺として、どこか据わりのわるさを感じておりました。
 ところが林家たい平が施した改作のサゲは、この飲み込みにくいところがすんなりおさまっていたのですね。
 どう変わっているかは、是非実際の口演にあたっていただきたいのですが、談志が「古典は生まれた時から古典なんだ」といっていた意味が、私はこの林家たい平の「不動坊」で少しつかめた気がしました。
 改作ではありますが、まったく元からそこにそれがあったかのような自然な流れであり、かつ作者の顔が浮かばない、没個性的な、すなわちそれは人によらず笑いを提供できる噺に仕上がっているのです。

 とはいいましても、サゲはサゲで、「料理をさげる」なんて言葉がありますように、物事のしめくくり、つまり落語が終わって席を立ち、ひとつ伸びでも打ったうえでやれやれと家路につくためのきっかけをつけてくれる手打ちの一発に似たものです。
 もちろん、それが綺麗に決まるか決まらないかで、噺の感想そのものも変わってくる重要なものには違いありませんが、それ以上に、少なくともサゲと同様に大事なものは落語には他にもたくさんあります。
 そうした点でも林家たい平の「不動坊」は素晴らしい一品です。
 まず人物がいい、出てくる登場人物が、主人公の吉からはじまり、仕掛けを講じる長屋の男連にしても、だれもが竹を割ったような性格でテンポを崩すことがない。
 そして声がいい。弾んで威勢のいい声が、登場人物とマッチしていて違和を覚えさせません。
 もちろん昭和の大名人・爆笑王と呼ばれた方々と比較すれば、どうしたって技巧面での差というのはあります。けれども、そうした差を、敢えて探そうという気にさせないくらいの魅力を、林家たい平師匠の「不動坊」は持っています。
 だからこそ、私の中での「この一品」として、多くの落語家さんの噺とともに並んでいるのです。

WZ03_FC.jpg 林家たい平の「不動坊」はいくつかの録音盤がありますが、私が特に好きなのは『笑う全日空寄席』という編集盤の第三弾に収録されたものです。
 収録は二〇〇〇年三月。真打昇進直後の興行によるもので、本人の気負いが良い方向にまわり、流れるようにまくしたてながらも乱雑に聞こえません。まさに立て板に水の勢いがあり、マクラから本編、サゲまで途切れることのない一本の流れが出来あがっていて、心地よく身を任せることができます。
 特に半ばの重要な鬼火をこしらえる場面での「近所のはまずいから隣町まで行ってきた」という言い回しは、単純なようですが、くり返すなかで重層的な意味を持っていることに気づかせる仕組みができあがっていて、過不足ない語りを聞かせてもらえます。口演によっては、ここで説明しすぎることもあるのですが、私はこの型が好きなので、推すとなると要点のひとつに数えないわけにはいきません。
 また同時収録の三代目三遊亭圓歌の「昭和の名人たち」は話芸の妙味を堪能できますし、二代目三遊亭小遊三の「船徳」は意気軒高な周辺人物の盛り立ててで弱気な主人公を際立たせるうまさを味わえて、三様の楽しみが詰まった好編集盤です。

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テーマ : 落語 - ジャンル : お笑い

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