FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

しゃべる首のこと

 フランス、パリから見てやや南東に位置する地域にヴァンセンヌと呼ばれる土地があります。
 狩猟場から軍事演習場を経て公園となったヴァンセンヌの森を所有し、その北端にはかつてフランス王室の離宮であったヴァンセンヌ城を誇ります。
 四方を城壁に囲まれた石造りの直方体の建物は、日本の城はもちろんのこと尖塔をいくつも連ねる西洋の城というイメージからもやや遠く、むしろ砦に近い感想を抱かせますが、その無骨さがなんとなく想像させる通り歴史は古いです。
 築城が12世紀の半ばという話ですから、900年近い時間、城郭の高みからその地を睥睨してきたことになります。もっとも王城としての役割を果たしていたのは17世紀までということで、その後の紆余曲折のうちに重ねられた増改築により、当時の偉容を伝えるところはないとのことなのですが。
 ともかくといたしまして、そうした長い時間を経てきた建造物ですので、多くの言い伝えや伝説の類が残されています。
 歴史的な事実を踏まえたものもあれば、荒唐無稽な眉唾ものな話まで種々様々であり、城内の一画でなされたという「首占い」もそんなうちのひとつ、そして圧倒的に後者よりのエピソードです。

 1574年5月28日の深更、ヴァンセンヌ城の敷地に建てられた通称「悪魔の塔」でその首占いは執り行われたといいます。
 現在は失われているこの禍々しい名を持つ塔には、ひとりの呪術師が囲われており、その人物が母大后カトリーヌ・ド・メディシス(カテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ)の用命を受けました。
 三代にわたるフランス王の母として権力を握ったカトリーヌが、サン・バルテルミの虐殺以降体を弱め、さらにノストラダムスによりその年の死を予言されていた息子であり国王であるシャルル9世の延命を図るために、より強い託宣で運命を上書きしようとしたというのがそのきっかけです。
 場に居合わせたのは術者とカトリーヌ、そしてシャルル9世の三人でした。
 電灯などもちろんない時代のこと、閉ざされた部屋の中で、わずかにともされた蝋燭の明かりだけを頼りに儀式は進行されました。
 そのために、パリ近郊よりひとりのユダヤ人の少年が連れてこられました。年の頃なら五、六歳、これからなされることはもとより、自らに降りかかる運命さえ知らぬあどけない男の子でした。
 呪術師は組まれた祭壇と設えられていた黒衣の聖母の前で呪文を唱えつつ秘薬を部屋中に散布し、滞りなく前準備を行っていきます。
 やがて万端整ったところで、男の子が祭壇の前に引き出され、そして鋭利なナイフで頸動脈を一閃、さらに呪文とともに大きな刃物を使い体と頭部が分断されました。
 呪術師はなおも呪文を途切れさせることなく紡ぎ、銀皿の上に血の気を失った首を安置させました。
 呪文書を蝋燭で焼き、倒れた十字架に生贄の血を注ぎ、最後に術者の強い言葉で全てが完了しました。
 あとは銀皿の上に乗せられた首に質問をすれば、それに対する回答を与えてくれるというのです。
 おそるおそる、けれども意を決した表情でシャルル9世が首の前におもむき、質問を投げ掛けます。内容は、無論、死を宣告されていた自らの運命でした。
 すると、最前の男の子とは似ても似つかぬ、地より這い出るような声が響きだし、硬くなりはじめた唇からもれ出しました。声は弱く、かすかなもので、シャルル9世にはほとんど聞き取れませんでしたが、辛うじて、
「……Vim patior……」
 とだけ耳に入りました。
 ラテン語で「私は力に屈する」「やむを得ないことになっている」などと解釈できるこの言葉を、シャルル9世は悲観的な意味にとらえ、大変に取り乱して惑乱し一種の恐慌状態に陥りました。
 やがて以前より体調を崩していた国王は病の床に沈み、絶えぬ幻覚を目の前に見ながら「その首をどけろ!」と金切り声で時折叫びながら焦燥を強くし、首占いを目の当たりにした二日後の1574年5月30日午後3時、わずか24歳の人生に幕を下ろしたのでした。

 以上は渡辺一夫による「ヴァンセンヌ離宮で行はれた『死人の首占ひ』の話」(『ユリイカ 臨時増刊 総特集:オカルティズム』1974)を抜粋要約させてもらったものです。これはおもしろい一編なのですが、手に入りやすい単行本に収録されていないのがたまにきずです。

 声とは肺からの空気の放出とともに声帯が振るわされて起こる現象で、首だけになっては、仮になにかを考えていたとしても、それを音にすることはできません。
 そんなことをいわずとも、首を切断されれば即座に絶命してしまい、しゃべるどころの状態でなくなるのはあたりまえの話です。
 けれども、逆説的にいえば、そのあたりまえが動揺させられるから、しゃべる首という装置は無気味さと神秘性を感じさせるのでしょう。
 例えば、阿部謹也は『西洋中世の罪と罰』という著書の中で、G・ネッケルの『ドイツ伝説集』を引いて、次のようなエピソードを紹介しています。

 ヘルツォーゲン・ボッシュに、昔ひとりのユンカー〔地方貴族〕が住んでいた。彼は神もその掟も知らず、たいへんに罪深い生活を送っていた。その男がある日の夕方、酒場で人は死後も生き続けているのかどうかについて人と言い争いをし、死んだ者は死んだままさと言い放ったのである。家に戻る途中、墓場を通り過ぎなければならなかったが、そこでたまたましゃれこうべに躓いた。男は「はっはー、これは美しい。お前はまだ生きているという話だね。お前がまだ生きているなら、今夜夕食を食べにこないか」といって笑ったのである。そして家路を急いだ。家では部屋に夕食の支度をさせ、満足して食卓についた。するとドアの鈴が鳴ったので下女が戸を開けると、客がいて、「ユンカーさんはいらっしゃいますか」と聞くので、下女が中に入れた。その男は部屋に入ってくると、「ユンカーさん、あなたが今夜の食事にご招待くださったので、まいりましたよ」といった。ユンカーは驚きのあまり水を浴びたようにぞっとしたが、その男がマントを脱ぐとその下には骸骨しかなかったので、ユンカーは気絶して床に倒れてしまった。下女が音を聞いて駆けつけたが、男の姿は消えていた。ユンカーはやがて気づいたが、おかしなことを喋り、そのうち頭がおかしくなって死んでしまった。


 肉のあるなしはありますが、ここにも無気味なしゃべる首が登場しています。
 ただ、こうやって見てみますと、首だけが言葉を発するという事態は、どちらかというと不吉な前兆として用意されているように感じられます。
 反キリスト的な呪術はもちろん、死者を冒涜するような行動も、その応報のあらわれとしてまず首が語り、文字通り口開けとなっています。その首自体が不吉でもあるのでしょう。
 だから、生首文学の筆頭というべきオスカー・ワイルドの『サロメ』においては、いくらサロメが哀願しようとも、首だけになったヨハネが再び目を開き、言葉を発するという兆しすら見せることはありません。洗礼者ヨハネがそのような邪悪な兆候をまとうことはないという表れなのでしょう。

スポンサーサイト

テーマ : 雑記 - ジャンル : 小説・文学

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。