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人体のユートピア あるいは金関丈夫のこと

 金関丈夫という人がおりました。
 分類するならば解剖学者かつ自然人類学者ということになります。
 人類学と解剖学というこの取り合わせを怪訝に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 けれども、そうした向きには『発掘から推理する』の冒頭におかれた一編「前線で戦死した巫女 ヤジリがささった頭骨」を是非読んでいただきたいと思います。
 このエッセイは長崎県平戸島根獅子という土地の弥生時代中期の遺跡より発見されたひとつの頭蓋骨に残された傷跡と、いっしょに埋葬されていた致命傷となったと思しき矢じりの紹介からはじまり、服飾品や骨の形から性別や役職を推理し、古文献や他の発掘例から死亡状況と当時の習俗を想像するという内容になっていまして、人体に対する解剖学的見地と時代背景への人類学的知識が互いに補い合って論を展開していきます。
 解剖学による人体についての知識は発掘された骨から、文字の残されなかった先史時代の情景を雄弁に物語る文物に似たものであり、人類学知識をもってそれを解読していくのです。
 そして、この非常にスリリングな推理を、最大限に愉しんでいるのは、当の金関丈夫その人であるのが文章からもありありと伝わってきます。

 金関丈夫は明治30年(1897年)に香川で生まれ、京都帝国大学医学部を卒業後、台北帝国大学医学部に進み台湾から東アジアにいたる遺跡での発掘調査に従事しました。戦後は九州大学で教鞭をとり、島根大学、山口大学、帝塚山大学の教授を歴任された、肩書きだけとればいかにも学者らしい学者です。
 ところがひとたび文筆を執れば奔放かつ不羈のテーマと内容で読者を唖然とさせます。
 例えばスサノオ、ヤマトタケル、牛若丸などを挙げての神話以来の日本男子による女装史である「箸・櫛・つるぎ」、古今東西の聖女の神聖なる法悦を性的エクスタシーと考察する「神を待つ女」、日本の古典文学の中から自慰を示すと思しき部位を列挙していく「榻のはしがき」……
 なんだかシモの方に話が集中しておりますが、かと思えば古代の骨を使った占い法について日中の比較を行った「卜骨談義」があり、島根県の独特な地名「十六島(ウップルイ)」を古典籍により考証していく「十六島名称考」などではアカデミックな香りを一気に濃厚にさせます。
 硬いものが続くと身構えれば、和漢洋の書籍をふんだんにちりばめながら語り口は軽やかな「長屋大学」のようなエッセイがあり、アジアのにおいが強くなりすぎてきたと感じた頃には不意に「マドリッドのたそがれ」で昭和初期におもむいたヨーロッパの印象を色鮮やかに描いてみせてくれて泰西の空気を颯爽と吹き込ませてくれます。

 こういう風に書きますと、インテリにありがちな露悪趣味を振りまいているかのように聞こえるかもしれませんが正反対です。金関は実に真剣に、それらのテーマに全身全霊でぶつかっています。真面目に楽しんでいるのです。
 だから、卑近なテーマも荘重な気品が漂ってきますし、逆に専門的な論考でもかなわぬまでもどうにかかじりついていこうという気にさせてくれます。
 それはなんのことはなく、どの文章も人を惹きつける面白さを、だれにでもわかるように配置してくれているからです。
 とはいえ、これは言うは易しの類のもので、まず読者を煙に巻くような難解な単語を連呼するような韜晦趣味や鬼面人を驚かすはったり趣味から無縁でなければなりません。レトリックを駆使しつつ、それから自由でなければならに、一見矛盾するような、深い知識と教養のうえに初めて成り立つ境涯にいたってようやく可能となるものだからです。
 そうして金関丈夫の文章は、そうした知の殿堂の奥深くにいながら、端座するどころか立て膝ついて、もしなんなら向こうからこちらを引きずっていかんばかりの気概にあふれています。

 それにしましても、知識が体にしみいって血肉となるというような表現はよく行われるものではありますが、そうして自家薬籠中のものとした知識が、さらに時代さえ異なる他の人間の体に侵入して視界を共有し、社会や共同体の有様をぎょろりとのぞく手法をとるとまでくると、いったいこの人の頭の中身はどうなっているのかと、のぞいてみたくなってきます。

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テーマ : 雑記 - ジャンル : 小説・文学

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