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狐火と髑髏と

 狐火や髑髏に雨のたまる夜に


 与謝蕪村の句集をパラパラと流し読みしておりますと、こんな句が目に留まりました。
 さあさあとしのつく雨がたてる音を聞いていると、ふと窓外からなにやら音がするので目をやればゆらりと怪火がひとつふたつ彷徨っている。そしてその下には野ざらしだろうか、なかば朽ちかけたしゃれこうべに草の葉を伝った雨水がぽたりぽたりと落ちている。
 夜の闇と狐火、静寂と雨音と、対比の美しい句だと、素人判断で解釈したのですが、ドクロの存在がいかにも唐突に感じられました。
 恐怖や怪奇を際立たせようとした道具立てでないことはわかりますし、かといって悲哀や無常といった雰囲気を出そうとすると狐火がかえって邪魔をしているように思えます。
 どういうものかと調べてみますと、この狐火が案外ドクロといいますか骨とかかわり深いことがわかってきました。

 江戸前期17世紀末に成立した『本朝食鑑』には既に「狐は人の髑髏や馬の乾いた骨を使い火をおこす」と書かれております。
 また、150年ばかり後になりますが、江戸期の怪異記録の集大成ともいうべき、松浦静山の『甲子夜話』巻四でも次のような話が残されています。

 平戸の桜馬場という地に住む人物が、狐が火を扱っているのを見たので、家来を使い周囲を取り囲ませてみたものの、頭上を飛び越えて逃げてしまった。けれども、その後に人骨のようなものが取り残されているのを発見した。
「これがないと、狐のやつは火をおこすことができません。きっと取り返しにくるでしょうから、こいつを囮に使って捕まえてやりましょう」
 と皆がいうので、なんとなく主人もそんな気分になってきた。
 屋敷の一室に骨を置き、障子を開けていると、なるほど案に違わず狐がやってきた。
 狐は何度も障子に顔を突っ込んだり出したり、軒を上ったり下りたりをくり返しているうちに、とうとう室内に入り込んでしまった。
「ここだ!」とばかりに様子を物陰からうかがっていた家来たちは一斉に殺到し、室内に閉じ込めようとするが、障子がびくともしない。そうして人々が困惑している間に、狐はまんまと目的のものを取り返して去っていってしまった。
 万事が終わり、みなが首をかしげながら調べてみれば、敷居の溝の部分に細く割いた竹が横たえられていた。

 狐にとって骨が貴重品であったことと、狡知の持ち主であることがともに書かれていますが、何故骨なのかについてはあまり詳らかにしておりません。
 そこで松浦静山と同時代人である曲亭馬琴の『燕石雑志』では、唐代の中国(9世紀)に成立した『酉陽雑俎』を引き、「狐はなにかに化けようとする際には、ドクロを頭の上に乗せて北斗七星に拝礼する。そうしてドクロが落ちなければ化けることができる」と書いております。
 木の葉を頭に乗せてドロンであれば、子ども向けの絵本などに今でも描かれる狐の化け姿ですが、ドクロを乗せて星に拝むとくると少々凄まじさが勝って、気の弱い子どもなら泣きだしてしまいそうです。
 それはともかくとしまして、ここではドクロは火を出すばかりではなく、変化のための必需品とすらされています。

 時代の変遷はあり、その重要度に高低はありましたが、狐にとってドクロは切っても切り離せない存在であり、だからこそ狐火とくればその受け皿としてドクロが用意されていたのでした。
 ただ江戸期約250年の時間の流れはあっても、その中で狐のおこす火と、姿を変える変化についてはつゆほども疑われていないという点に、ひとつの強い江戸文化の命脈を一本見せてもらった気がします。

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テーマ : 雑記 - ジャンル : 小説・文学

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