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戦争の記録を読むこと

 いつからか、どうしてかはわからないのですが、私の第二次世界大戦の興味関心は主に民衆史に傾いています。
 特に空襲がはじまり、銃後と呼ばれた日本国内が、時に前線以上の攻撃さえ受けるようになって以降、人々がどのように暮らしていたのか、その変化と変わらなかった部分を知りたいという思いを強く持っています。
 そして、現時点で得られたひとつの結論は、多くの場合、ひとびとは強力な破壊を受けても、その直後から寸前の日常を取り戻そうと奮闘しはじめるということです。それは抵抗というよりは、むしろ眼前の非日常から逃れたいという防衛本能のように思えます。
 そのような非日常のなかの日常は、いったいどのようなものだったのか。
 教えてくれるいくつかの書籍を今回は紹介したいと思います。
 ただ、当然のことながら、あの戦争から引き出された感想や考察は千差万別です。これらから、すべてがわかるということはありません。もちろん、私の書籍の取捨選択のなかにも意識の有無にかかわらず、なんらかの偏りはあるでしょう。そもそも私の読めたものなんて、刊行されている関連書籍から見てさえ微々たるものです。
 けれども、だから読まない、というのではなく、なら別にはどのような視点があるのか、それを考察するための一助としてご利用いただけたら幸いです。

 まずはなにより、当時の人々のリアルタイムの証言に耳を傾けるのが重要です。
 そのためには、やはり永井荷風『断腸亭日乗』ははずせない一冊です。
 1917(大正6)年から1959(昭和34)年の死の前日にまでいたる四十年に渡る私的に綴られた日々の記録です。
 明治大正昭和をくぐり抜けた反骨の作家であり、鴎外の衣鉢を継ぐ文豪である荷風は、これまで多くの研究者に指摘されてきた通り、真珠湾攻撃の際にすら一切の興奮を見せることなく、むしろ日本の前途に立ちこめる暗雲を憂えた数少ない人物のひとりです。
 その文体は簡にして要を尽くし、日々起こることをあまりに冷淡に描いていきます。自らが暮らした最愛の邸宅が3月10日の東京大空襲で焼け落ちた時ですら。
 政治的な発言をほとんど表にしていなかったにもかかわらず、当局より危険視され、特に対米開戦以後は文筆活動の道を断たれた荷風は、ですのでかなり一般大衆に近いところから戦争の日常に与える影響を描いています。
 ただし、荷風は生前のかなり早い時期から、自分の日記がやがて公開され、文学的な価値を付与されることを予期していました。ですので、日記を書くペンを握る際のスタイルには、必ずどこかに作家永井荷風の影がちらついています。
 市井の一青年から見た戦争では、何度もこのブログで紹介している山田風太郎『戦中派不戦日記』があります。
 そして荷風が鴎外ならば、漱石の流れを汲む内田百間『東京焼盡』も忘れられません。東京への空襲がはじまった1944(昭和19)年11月1日から1945(昭和20)年8月21日までの、日記を再構成した、百間の生前に作品の一冊として刊行された書籍です。
 当時の百間は日本郵船、東亜交通公社、日本放送協会の嘱託も勤めており、半公人のような位置を持ってもいるのですが、必ずしもこれから紹介する他の日記作者ほど強いパイプを所持していたわけではなく、入ってくる情報の多くは一般市民と変わらない程度のものと見受けられます。
 とはいえ、海軍機関学校と陸軍士官学校のドイツ語教授に籍を置いていたこともあり、法政大学の航空研究会時代の教え子のうちには実際の海軍士官となったものもあるため、軍人と無関係であるとはいい難いのも事実です。
 それでもこの書を推すのは、『東京焼盡』が珍しい終始東京を舞台とした記録だからです。荷風は焼け出された後岡山に、風太郎もやはり長野県飯田市に疎開するため、戦争終結までの三カ月ほどは東京の状況を知ることができません。
 ところが、百間は、当時麻布にあった家を焼かれながらも、「動くのは嫌だ」という子供のような理由で疎開をせず、自宅のすぐ隣家で奇跡的に焼け残ったトタン屋根の三畳一間の倉庫で暮らしを再開し、終戦どころか戦後数年経つまでそこに頑張り続けることになります。
 ですので、ここで書かれているのは、八方を焼け野原にされた後の、東京の様子を描いた貴重な資料といえます。
 荷風、百間はともに、昭和初期から既に文名を知られた作家であり、そちらでの情報網が皆無であったとはいえないでしょうが、有効に活用されていたともいえない人物であります。ひきかえ、大佛次郎『終戦日記』徳川夢声『夢声戦争日記』では、「鞍馬天狗」などのヒットを持つ人気作家の大佛とラジオ出演や漫談で人気を博して海外にまで兵隊慰問に出かけていた徳川夢声は、どちらも強く太い情報網を持っており、ポツダム宣言受諾や玉音放送とその内容について前日には既につかんでいました。
 こうしたいわば情報における特権階級から見た戦中の景色も、これもまた貴重な資料です。

 もっとも、日記が貴重な資料である点は否定しようがないのですが、日々の記録としての側面が強く、起承転結のような展開はありませんし論旨というようなものも存在しません。ですのでなかなか読むのに骨が折れるのも事実です。
 そこで、こうした日記を読みこんだひとの意見は、散見する思いや日々の移り変わりをまとめてくれていて便利です。
 特に日本国内の日記を読みこんだ著作に野坂昭如『「終戦日記」を読む』ドナルド・キーン『日本人の戦争 作家の日記を読む』が挙げられるでしょう。
 昭和20年当時15歳だった野坂昭如は少年時代の終わりに目にした戦争の行く末を思い返しつつ、作家の日記に限らず古書店などで購った一般人の日記などを引用しつつ戦時の状況を表していきます。
 対してドナルド・キーンは23歳で野坂少年よりやや上の世代、山田風太郎や水木しげると同い年の、戦争体験者にあたります。実際海軍に所属していたキーンは、捕虜の通訳や、さらには沖縄攻略作戦にも従軍しています。
 そうしたいわば敵側でありつつも、同時代を過ごした人物による、日本の作家の日記の読み込みは、選別が必ずしも多岐にわたるとはいえず、また恣意的な読みが散見したりもしますが、疎かにできない書籍であることには違いありません。

 戦時中、言論の自由は奪われていた、とは標題としてはよく聞く話ですが、果たしてそれがどういったものであったかは、川島高峰による『流言・投書の太平洋戦争』が、その書名の示す通り、戦中に行き交った噂や、それを取り締まる特高の姿をまとめています。
 また、戦時中の新聞がどのように言論を切り詰められていったのか、果たして軍の横暴のみに原因を帰結されるものなのかなどを細かに解説するのは、前坂俊之『太平洋戦争と新聞』です。

 それから、空襲を受けなかったとされる京都の戦中の状況を伝えてくれるのは、中西宏次『戦争のなかの京都』で岩波ジュニア新書という若年層向けの叢書からの一冊ではありますが、内容は決して子供だましに終わらず、丁寧な資料収集と考察が行われており、年長者にも十分有益な書物になっています。

 国内はともかくとして相手を含めるとどうしても実感のともないにくい戦争の情景を描くものとしては、太平洋戦争の勃発と終焉について、時系列順に資料を引用して俯瞰的な展開を試みる山田風太郎の『同日同刻 太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日』が、強い臨場感と緊張を伴って読む者の背を粟立てさせます。
 指導者から国の立場を比較するユニークな論考である福田和也『第二次大戦とは何だったのか』は、各国首脳の政治手腕や思想を解説することで、それぞれの国を身体あるものとして受け取りやすくしてくれます。

 硬い本が多くなりましたので、比較的読みやすいものでは荒俣宏『決戦下のユートピア』を。大戦中の庶民が強いられた、衣食住にはじまり娯楽・メディア・宗教の弾圧の実態を、わかりやすく解説してくれます。
 天野祐吉『嘘八百 これでもか!!!! 戦前篇』はシリーズ化されたものの一冊で、実際に新聞・雑誌に出された広告を紹介して、実際の世相をにおわせるもので、こちらはタイトル通り戦前に収集を絞っています。
 取り扱う内容はシリアスですが、ユーモアがふんだんにこめられているので、肩肘張らず

 戦後70年、歴史とは決してなにかに結論づけられるものではなく、常に流動し見方も変わっていくものです。だからといって、その流れに翻弄されているばかりでは、折角先人の残してくれた資料も報われないことになるでしょう。
 できるだけ多くの証言や考察に触れることで、歴史のうねりを初めて実感できます。それは時に苦痛さえ伴う激流であることもありますが、同時に別の場所を開いて見せる潮流であることも多いです。
 どちらにせよ、バトンを受け取った者として、ひとつの場所にとどまるのではなく、常に自分の位置を確認しつつ多くの場所を模索するべきではないでしょうか。

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テーマ : 雑記 - ジャンル : 小説・文学

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