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そのままでそのままを

 前回に引き続きまして、もうちょっと所ジョージさんの音楽の話を。
 所ジョージの曲と聞いて、まずイメージされるものは、前にも書きましたがコミックソングだと思います。
 私も初めてベスト盤の『史上最大全集しょのいち』を買った時は、主にそういうばかばかしい曲(失礼な話ですが)目当てで、軽快な言葉遊びのオンパレード「ギャンブル狂騒曲」やとにかく勢いの楽しい「花火」、クレージーキャッツの現代風(当時)アレンジといっても過言ではない「まったくやる気がございません」、さらに「シュウマイ」だとか「スブタ」「女はヤだね」といった数秒で終わる一発ネタ曲に魅せられて、毎日何回もCDをかけていたものでした。
 なにより、所ジョージさんの初めて歌う姿を見た記憶が強く残っていて、それがコミックソングの人という印象を作り上げていました。
 それは私が小学生の頃のテレビ番組で、ゲストで登場した所さんが童謡の「しゃぼん玉」がいかに恐ろしい歌かという点を力説するもので、「しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えた」という歌詞の「まで」が到達ではなく、「までも」という並列の意味でとらえて、「しゃぼん玉がとんだ。さらになおかつ屋根までもがとんだ。屋根までもがとんでいってこわれて消えてしまった」。そんな大風の日にしゃぼん玉なんてとばすんじゃない。後に続く「風 風吹くな しゃぼん玉とばそう」でオチという構成でした。
 私の文章では面白さが伝わらないかとも思いますが、その時の、しゃぼん玉を歌い上げる所ジョージさんの姿がいかにもほがらかで気持ちよさそうで、見ているとつい笑いが浮かぶものだったのですね。

 十年以上もなんとなく抱いてイメージに少し変化が訪れたのは、「忘れてしまうのであろう」という曲がきっかけでした。
 お茶の間の科学番組として今でも人気を誇る『所さんの目がテン!』のエンディングテーマとジングルに使用されていたこの歌は、朴訥とした歌唱での「いろんな物に出あうたびひとつ前を忘れてゆく」というフレーズが妙に頭にこびりつき、シングルを購入して聴き込みました。
 この歌で所ジョージさんのコミックソングでない一面を知ったのですが、まだこの時は、たまに作る真面目な曲くらいに思っておりました。

 本格的に考え方を改めたのはミニアルバム『ブタとダイヤモンド』に収録された「質問」を聴いてからでした。

努力したのかネ と聞かれたら
何となく ここまで来たような気もします
ふざけているのかネ と聞かれたら
ふざけています と胸は張れないでしょう
余所見をした自分に 会いそうで
気晴らしだったんだ と無かったことに
助走をつけてまで やってみましたと
まったく狡くて 自分を偶に笑う
冬の西日をうけて 横長に光(ひ)を浴びる


 コミカルな調子は残っていますが、ここで歌われているのはなにかと理由をつけて自分をごまかそうとするひとのことで、引用していてもいちいち突き刺さってきます。
PD_FC.jpg けれども、所ジョージさんは、それを批判するでもなく揶揄するでもなく、ただそういうものとして取り上げてくるのですね。
 なんとなくですが、これで所ジョージというシンガーソングライターは等身大の人間を描き出す人なんだなとわかった気がしました。
 人が生きている上で行う矛盾や理不尽、そうしたものまで含めてそのまま抽出して歌にしてしまう。コミックソングもそのひとつなのでしょう。
「裸のブタがいる 素ブタ」の「スブタ」なんかも、いかにも気を緩めた瞬間に思いつきそうなフレーズです。

 所ジョージさんの歌はふと歌詞だけ読めばいかにも鋭い風刺や皮肉がこめられているように思えるものも多いです。
 けれどもよくよく聴いていると、批判として身につまされたり痛快に思ったりするよりも、共感して自分のこととして受け止めてしまうようになってきます。
 それは等身大の人間の姿をそのまま提示してきているからで、強い観察力と、なにより全てを包括できるおおらかさがないとできない技で、だからこそ、所ジョージさんの歌はどれを聴いても、心がささくれ立つことなく穏やかになるのだと思います。

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テーマ : 邦楽 - ジャンル : 音楽

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