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北村薫『太宰治の辞書』

DD.jpg 北村薫の「円紫さんと〈私〉」の新単行本が発売されたというのは、大きな事件でした。
 四月の上旬、ふと見た新聞の文芸欄に載せられていた『太宰治の辞書』という書名をひと目見るや、矢も楯もたまらず早速書店に急ぎ一冊を購いました。
 そのまま貪るように読み……
 といきたかったのですが、時期はちょうど入稿直前、いまだに八分通りしか完成していない原稿をひかえては一ページもひもとくことができず、ようやっとのことですべてに片をつけて、手を伸ばせる準備ができたのが一週間ほど前のことでした。
 これほどやきもきした時間を過ごしたのもひさしぶりです。
 けれども、その甲斐はありました。なにしろ、再びまた、春桜亭円紫さんと〈私〉の物語に触れることができたのですから。

「円紫さんと〈私〉」シリーズは、第一作『空飛ぶ馬』が1989年に上梓されたのをもって皮切りとします。
 作中で氏名の明かされない〈私〉が出会い、伝え聞く、ふと見逃してしまいそうな日常の中にまぎれ込んだ違和を、人気噺家である春桜亭円紫に相談することで、そこから思いもかけなかった真相が展開されていく、という型によって作られたミステリ連作です。
 ミステリとしての魅力的な謎の提示とその解決の鮮やかさはもちろんです。これはまったく闊達としかいいようのない展開で、読んだ後で気づかなかったことに悔しい思いをさせられることもしばしばなほどです。
 けれども、北村薫の著書の特徴は、それに並び、もしかしますとそれ以上に、文章のうまさが挙げられます。
 難しい言葉を使い、修辞の積み重ねで美文を書きだすというタイプではなく、私たちが普段使うような言葉を普段使うタイミングではめ込んでいるのですが、それが「ここしかない」という場所に組み込んでいるため、少ない言葉の数でもおそろしいほどに豊かな表情を織りなしていて、快さにただただ陶然とさせられてしまいます。
 魅惑の謎と流麗な文章の綾なすこのシリーズは、以後『夜の蝉』『秋の花』『六の宮の姫君』がほぼ年一冊のペースで刊行され、1998年の『朝霧』で続編が途絶えていました。
 そして先月、十七年の沈黙を破って、ついに新刊『太宰治の辞書』が刊行されたのです。
 こうなると、長らく待ちぼうけを食わされていたファンの興奮を、ご理解いただけるかと思います。

『太宰治の辞書』は「花火」「女生徒」そして表題作の「太宰治の辞書」の三編よりなる連作短編です。
 はじめの「花火」が芥川龍之介の、「女生徒」と「太宰治の辞書」は太宰のそれぞれ短編をとりあげて、その作品の読解のひとつの可能性を提示していきます。
『六の宮の姫君』の形式で、通常の事件が起こってそれを解決に導くミステリを想定して取り組みますと、かなり面食らうことになると思います。
 こう書きますと、文学研究を無理に小説化した堅苦しいものに感じられますが、まったくそんなことはなく、ごく自然に作品が紹介され、これまでの解釈の変遷が書かれて、〈私〉の考える解釈の独自性がすんなりと飲み込める形となっています。
 なかなか縁の近いものになりにくい文学作品を、こうしてひっかかりなく受け止められるのも、作品世界が真に迫ってくるからで、ひとつひとつの日常描写がとても丹精に書き込まれ、読むたびに嘆息がもれてきます。
 その世界描写で最も冒険的で、かつそれ故に読者がリアルに受け止めざるをえない部分のひとつに、作品内の時間経過が挙げられるでしょう。
 前作『朝霧』では大学を卒業したてで新社会人だった〈私〉がすっかりベテランの編集者となり、私生活でも中学生の息子を持つ一児の母となっているのです。
 これは驚きですが、当たり前のことかもしれません。
 なにしろ、二冊の間には十七年の時間が経過しているのですから。
 たしかにここで社会に出たての〈私〉の話を今から書かれたとしても、きっとおもしろいものとなったでしょうが、今回の本に見られるような深い感慨を得るのは難しかったように思えます。
 そのように、北村薫は、十七年の時の流れを、慈しむように丁寧に書いていきます。
 今回の本を読み、特に印象に残っている個所に、次の一節があります。

「あの『佐々木政談』はどなたから?」
「矢来町です」
 古今亭志ん朝のことだ。同じ時代を生きて幸せだと思える人が、去って行くのはさみしい。勿論、志ん朝もその一人だった。

 ここを読み、はっといたしました。
『朝霧』の刊行された1998年、まだ志ん朝は日々高座を演じていたのです。
 それを漱石の風を漂わせる一文でさらりと書いてしまえる、この書きぶりにすっかりやられました。
 もっとも、これはあくまで物語にかかわらない独白です。実際の物語の中には、さらに明確に時間の流れを思わせる事柄が一層の情趣をもって語られています。これは是非とも本書にあたり味わっていただきたいと思います。もちろん『空飛ぶ馬』よりはじめて、それぞれの人びとのつながりを知ったうえで。
 私の紹介では、北村薫の本が、まるで死んだ子の年を数えるように、なつかしの人びとを挙げているだけのように思えるかもしれませんが、それは大きな誤解です。
 北村薫は過去を語りながらも、常に現在に目を向け、そして少しだけ未来を予想させてくれる、稀有な感性を有した作家です。
 過去の作家の作品をテーマに取り上げながら、しっかりと換骨奪胎され、現代の小説に通じる道筋が示されています。
 それは『太宰治の辞書』というこの一冊に結集しているのですから。

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テーマ : ブックレビュー - ジャンル : 小説・文学

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