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魔法の筆法

 五月に開かれるとある同人誌即売会のために、ここ最近日本の呪術や妖怪、俗信などといったものについての本を読み返しております。
 ただ、こうしたことに関心がある、といいますと、途端に胡散臭い顔で見られるのが残念なところです。
 なるほど、その手の方面にのめりこみまして、恨み骨髄に達する憎きあん畜生に目に物見せてやるべく夜な夜な近くの神社に白装束で頭に蝋燭結わえて右手には藁人形、左手には金槌、五寸釘をくわえて通っているといえば、それは目線をそらして距離をとられてもいたしかたないでしょうが、過去にそうした習俗があったこと、もしくはあったと信じられていることを、何故・どうしてとたずねるのは、これは好奇心であって、少なくとも後ろ指さされる類の話ではないと思います。
 とはいえ、そうした目が現れるのもある程度はいたしかたないことで、実際本屋に行ってみますと、過去の習俗や信仰を今の利益につなげようとするようなガイドブックが横溢しています。
 おそらくそうした本のなかにも、新しい発見や事実はあるのかとも思いますが、あいにくと俗物な私は直接的な記述を好むもので、もっとわかりやすく過去の人々の信心のみを描こうとした本を探そうとしてしまいます。
 そして、そんな欲求を満たそうとする際に、私はまず幸田露伴の「魔法修行者」に手を伸ばしてしまいます。

 幸田露伴。明治大正昭和を生きた作家で、文学史的には「五重塔」の作者というのが最も通りのいいところでしょう。夏目漱石と同い年ながら、文体は正反対といってもいいくらいに硬質で、文豪という名称がしっくりとくる稀有な人物です。
 けれども現代の口語体に先鞭をつけた漱石が怪力乱神を語ることに消極的なのに対し、露伴は案外にもその道もいけた口で、その一つの結晶ともいえる作品が昭和三年に発表された「魔法修行者」になります。
 昭和三年は一九二八年で、著者六十一歳の時の執筆となりますが、一読その博識にガツンと一発いかれたような気持ちにさせられます。
 和漢の典籍よりの知識はいうにおよばず、ヨーロッパまでをも含めた「魔法」という単語にこめられた意味への傾倒が、文章のどこを切り取っても香ってきます。
 内容はタイトルの示す通り、日本における魔法をその修練者の姿を描くことで表していこうとするエッセイで、単行本で四十ページ前後の分量を持っています。
 まず露伴は日本における魔法とは何かを問い、まじない、妖術、幻術、げはふ、狐つかい、飯綱の法、茶吉尼の法、忍術、合気の術、キリシタンバテレンの法、口寄せ、式神つかいという風に分類し、それぞれに簡単にして要を尽くした説明を加えていきます。その結果として、日本における魔法に最も合致しやすいものは飯綱の法または茶吉尼の法であると説いていきます。
 そして歴史上に名を残す人物のうちで、これらの法を習得していたと思しき二人を挙げます。
 それが室町幕府の管領として実質的な支配権を握った細川政元と、関白・内大臣を歴任し藤原氏の氏の長者でもあり信長・秀吉の時代を悠々と生き九十の老齢まで生を長らえた九條植通です。
 露伴はこの二人の伝記を書くことで、歴史的な事実から見えてくる魔法の輪郭をなぞっていこうとします。
 細川政元の暗殺にかかわる陰鬱な気のみなぎる筆の冴えもさることながら、さらに水際だっているのは九條植通の剽悍ともいえる豪放磊落ぶりで、信長や秀吉でさえ煙に巻いてしまう胆力の強さなど、たしかに人智を超えたなにものかを持っているようにかんじさせてくれます。
 思うに、これこそが露伴の文章の力で、魔法という単語の持つ不気味さ・他愛なさ・稚拙さを笑い飛ばしてしまい、快活な陽気を新たに付加する力強さを持っています。
「魔法修行者」一編は、たしかに日本における「魔法」使用の歴史を紹介する良質のエッセイでありますが、それだけでなく、その文章そのものが魔法の歴史に組み込まれるだけの妖力をそなえた作品であり、だからこそ読むものを魅了してやまない引力をもって迫ってきて、ついこの道を志そうと思えば、一度は手に取らせるだけの存在感をいまでも放っているのです。

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