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年のはじめの聴き比べ


 あけましておめでとうございます。
 本年もこのブログをよろしくお願い申し上げます。

 昨今は正月の風情がないなどともいわれますが、やっぱり元旦ともなりますと電車の乗客も少なく、幹線道路もふと見渡すと直線一台の車も見当たらないということもままあり、らしさを感じるのはさほど難しくないように思えます。

 それでも季節のにおいをかぎたいということになれば、落語を聞くというのもひとつの手段ではないでしょうか。
 落語は話の筋立てで季節を利用しているものも多く、季節の風物詩を主題としたものもいくらも見受けられます。
「初天神」もそんな演目の一つで、正月に高座にあげられる機会の多い噺になります。

 毎年一月二十五日、天満宮で行われる年初めの祭祀に、頼まれるまま子供をつれてやってきた父親。
 縁日が開かれ屋台の建ち並ぶなかで、父親は息子に、今日はお参りが目的なんだから、なにも買わないしねだったりしてはいけないと強く釘を刺す。
 子供は快活に了承したものの、それも束の間、子供は次々にあれを買ってくれこれを買ってくれとねだりはじめる。
 その都度約束をたてに断ろうとするものの、根負けして方々で騒ぎを起こしつつも、いわれるがままに買い与えてしまう。
 やがて凧上げ用の凧を買ったところで、まずは模範にと父親があげてみせるが、思いのほか楽しくなってしまい子供をほっぽりだして、自分が夢中になってしまう。
 それを見ておもしろくない子供は一言、
「父さんなんて初天神につれてこなきゃよかった」



 最初聞いた時は、実はあまり好きな題目ではありませんでした。
 とにかく出てくる子供かわいげが感じられず、父親の方にばかり感情移入してしまって笑いきれなかったのですね。
 けれども、何度か演者をかえて聞き返すうちに、子供に嫌気がさすというのも、噺家の技量にしてやられているのだと気付いてからは素直に楽しめるようになってきました。
 今回はそんな「初天神」を、所有する音源で聞き比べてみました。
 とはいえ「初天神」は人気の演目で、音源化されているものも数多く存在します。私の持っているものは、そのなかでもごく一部ですので、とてもこれで特定のなにかを語るというものではありません。
 ただ私が感じたまま、聞いたままを書いておりますので、せめて落語に興味があるという方の、なにかの参考にでもしてもらえたら幸いです。

SI.jpg まずは春風亭一之輔師匠の一席。
 一之輔は平成二十四年に真打に昇進した新進気鋭の噺家の一人です。
 余談ではありますが、書いております私がいこつと同年代の噺家さんで、同い年の方が一線で活躍されているのを拝見いたしますと、なんとも頼もしく、また自分も精進しないとと襟元を正しくする気分にさせられます。
 音源は、ワザオギという当代の噺家さんの高座を商品化してくれているレーベルの一枚(WZCR-99003)で、「青菜」とのカップリングCDです。録音は二〇一〇年十月三十日お江戸日本橋亭ということで、真打昇格前の二つ名時代のもので、今回紹介するなかでも最も最近の口演になります。
 聞いておりまして一番の特徴となりますのは、父親の若さで、子供との年齢差があまりないように感じられるところでしょう。
 と申しましても欠点というわけではなく、いかにも慣れない若い父親が子供に振り回される感じが真に迫ってきます。
 特に憮然とした父親のしゃべり方は、子供を後にしていかにも速足で歩く若い父親の情景が目に浮かぶようです。
 また屋台の前でやりとりをしてまんまと商品を買わせることに成功すると、店の主人が父親にかける一言がつぼに入りまして、「旦那さん、いいお手前の坊っちゃんですね」や「坊っちゃん、グッジョブ!」という商売人のしたたかさがなんともおかしいです。

YS.jpg 次に聞きましたのは、柳家さん喬師匠です。
 一門総勢百名を越えるという人間国宝五代目柳家小さんの直弟子の一人で、現在でもつやのある声音で人気の大ベテランです。
『柳家さん喬名演集 7』(PCCG-00899)に収録されており、併録は大ネタ「百年目」です。二〇〇八年一月五日深川江戸資料館での口演とのことです。
 さん喬の父親は今回聞いたなかでは最も愛嬌があり、せがまれて縁日につれてきた体をとりながらも、子供といっしょに歩いているのが内心はうれしくてしかたがないという浮かれた具合が言葉の端々からうかがわれます。
 対する子供は賢しさに溢れており、わがままをいったら河童のいる川に突き落とすとおどされると「河童なんて空想上の動物でおどしたてたら子供はいうことをきくなんて了見のせまい父親の思惑に乗ると思ったら大間違いで……」などと長広舌をふるう有様です。
 父親、子供ともにひと癖もふた癖もあるのが、聞いておりまして次にどうくるかどうくるかと趣向を堪能させてもらえる一席です。

YK.jpg そして柳家小三治師匠です。
 先述の五代目柳家小さんの直弟子の一人で、現在の一門の最上位にあたり、先日師小さん、桂米朝に続いて落語家として三人目の人間国宝に認定されました。
 録音はソニーの『落語名人会 柳家小三治 13』(SRCL 3579)に「時そば」といっしょに入っております。一九八八年一月三十一日鈴本演芸場での高座とのことで、五十歳を目前にした壮年の勢いと脂の乗った張りに満ちています。
 小三治の「初天神」の最大の特徴は、子供と父親がいかにもそのあたりにいそうな現実味に満ちているところにあります。
 父親はいかにもな雷親父で、子供の泣き声やわがままが大嫌い、胴間声を張り上げれば手も上げるという頑固者です。対して子供もこましゃくれた智慧など持ち合わせておらず、自分の欲求を通すための手段といえば、もっぱら大声で騒ぎたてるか喉をふりしぼって泣きわめくかで、創意工夫ではない体当たりのおねだりをぶちかましてきます。
 そこにあるのはどこにでもいそうな親子の姿で、落語の戯画としてのコメディ空間の色合いは薄いのですが、それを補って余りあるほどの写実的な光景が、口演を通して広がってきまして、いかにもな親子の掛け合いの続くなかで屋台の描写が行われれば、昭和初期までの縁日はこのようなものだったのだろうなと思わせられ、雑踏の雰囲気が目の前に見えてくるかのようです。
 そこまで丹念に描かれた世界だからこそ、サゲ近くで、子供を差し置いて凧上げに夢中になっている父親の姿が、それまでとの落差が著しく、声を枯らしてまで夢中に駆けずりまわっているところについ吹き出してしまわずにはおれません。

ST.jpg 江戸落語が続きましたので、最後に上方落語から、笑福亭鶴光師匠を。
 関西人でしたら三十代くらいまでの人間ならだれでも知っている、独特のねちっこいしゃべり口調と、下ネタ系のいわゆる放送禁止用語をまったく歯牙にもかけない弁舌で人気を博した噺家であり、六代目笑福亭松鶴一門の重鎮の一人です。
 私の所有する三代目桂小文枝演じる「高津の富」とのカップリング盤(GES-14204)は録音データなどなにも掲載されておりませんが、十中八九日本コロムビアの『ライブ上方艶笑落語集五』と同一音源と推測されますので、だとしますと一九八四年の録音ということになります。
 長年務めたラジオ番組ではエロカマキリという別名で知られた師らしく、冒頭、初天神につれていくようねだる子供が自分の言い分を聞き入れさせようととった手段は、向かいの家の主人に自分の両親の夜の営みの一部始終を語って聞かせると脅迫するものでした。実際にしゃべりはじめた内容はところどころに子供らしい感想をさしはさむ生々しいもので、冒頭部分にたっぷり尺をとるやり方は他の演者と一線を画します。
 関西の子供と聞かされて思い浮かぶ、かわいげの薄いこましゃくれた悪ガキの典型で、この子供の視点から比較的多く語られるところも独特で、おかげで父親ばかりでなく子供の方にも感情移入がしやすく、するりとサゲの「おっ父なんかつれてこんかったらよかったわ」が綺麗に飲み込めます。

 以上四組を一度に聞き返してみますと、演者ごとの特色がそれぞれに出ており、同じ噺でもまた別の側面からのぞきこむことができ、また新たなおかしみが生まれてきます。
 こうやって聞きますと、落語というのはつくづく生き物なのだなと改めて知らされます。

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テーマ : 雑記 - ジャンル : 日記

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