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よりぬきデッドプールさん: MADCAPPED!

「だから、だれも気にしてねえって」
「そんなことないだろう。『マーク・ウィズ・ア・マウス』からのつきあいだ。いなけりゃすぐにわかる」
「ブルックリン橋を渡るとさ……」
「何の話だよ」
「聞けよ。すぐにブリートのトラックが停まってるだろ」
「ああ、ブルックリンの数少ない自慢のひとつだよな」
「俺達はニューヨークへ行くたびにあそこへ足を運んでる。まあ常連だわな」
「馬鹿にすんなよ。トルティーヤの配合がコンマ1パーセント変わってもわかるぜ」
「そのプロフェッショナルさんは、4カ月ほど前から店の看板変わってたのに気づいたかい?」
「俺達を看板といっしょにすんな!」
「違うのか?」
「違いねえや」

 思い返せば邦訳第一弾となった『デッドプール:マーク・ウィズ・ア・マウス』以来おなじみの、デッドプールの脳内人格である黄色と白の四角いふきだしでした。ところが、この8月9月に出た4冊のうち『デッドプールVS.カーネイジ』『デッドプールの兵法入門』ではすっかりなりをひそめて、デッドプールを交えた三者三様のかけあいは見られませんでした。
DA_01_FC.jpg 実はこのふきだしとの対話は、デッドプール全シリーズにおいて見られる特徴ではなく、一時期、具体的にいえばダニエル・ウェイがライターを務めた第2期『Deadpool』にかかわる作品のみに現れるものなのです。
 ですので、ダニエル・ウェイから離れた上記2冊ではふきだしは出てきません。これは過去にさかのぼって、例えば第1期『Deadpool』誌でも『Cable&Deadpool』誌でも同様です。そして、現在刊行のアナウンスがなされている、第3期『Deadpool』誌の翻訳である『デッドプール Vol.1:デッド・プレジデント』においても、です。
「だとしたら、そもそもあの四角いふきだしはなんなんだ?」
 もっともなそんな疑問に真正面から答えたエピソードが、「MADCAPPED!」です。

 このストーリーで大きな役割を果たすキャラクターがいます。
 その名は、マッドキャップ Madcap。
Madcap.png 初登場は『Captain America』#307(1985)とのことですから、キャラクターとしてはタスクマスターなんかと同時期の、中堅にあたる立ち位置にいます。
 つば広の帽子に黄色い仮面、道化服に身を包み、手にはシャボン風船を打ち出すオモチャの銃を持つヴィランです。
 この風体だけ聞けば、いかにも雑魚らしいキャラクターを思い描くかもしれませんが、所持するふたつの能力のために、あなどれない実力を兼ね備えています。
 まずは傷に対する超耐性。デッドプールやウルヴァリンのヒーリングファクターはもう説明の必要もないほどに有名ではありますが、マッドキャップの能力は、それを遥かに凌駕しています。おまけに彼は痛みを感じません。
 そして視線を交わした相手の正気を一時的に失わせるという、問答無用な能力を持っています。これはソークラスの相手にも適用可能なようで、つまり地球上のほぼ全般のヒーローに効果を発揮するといえます。
 相手からの攻撃はきかず、一方的に無力化が可能といえば、向かうところ敵なしのようですが、当人が相手以上に正気を失っているので、あまり脅威と思われていないのが実際のところです。

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しゃべる首のこと

 フランス、パリから見てやや南東に位置する地域にヴァンセンヌと呼ばれる土地があります。
 狩猟場から軍事演習場を経て公園となったヴァンセンヌの森を所有し、その北端にはかつてフランス王室の離宮であったヴァンセンヌ城を誇ります。
 四方を城壁に囲まれた石造りの直方体の建物は、日本の城はもちろんのこと尖塔をいくつも連ねる西洋の城というイメージからもやや遠く、むしろ砦に近い感想を抱かせますが、その無骨さがなんとなく想像させる通り歴史は古いです。
 築城が12世紀の半ばという話ですから、900年近い時間、城郭の高みからその地を睥睨してきたことになります。もっとも王城としての役割を果たしていたのは17世紀までということで、その後の紆余曲折のうちに重ねられた増改築により、当時の偉容を伝えるところはないとのことなのですが。
 ともかくといたしまして、そうした長い時間を経てきた建造物ですので、多くの言い伝えや伝説の類が残されています。
 歴史的な事実を踏まえたものもあれば、荒唐無稽な眉唾ものな話まで種々様々であり、城内の一画でなされたという「首占い」もそんなうちのひとつ、そして圧倒的に後者よりのエピソードです。

 1574年5月28日の深更、ヴァンセンヌ城の敷地に建てられた通称「悪魔の塔」でその首占いは執り行われたといいます。
 現在は失われているこの禍々しい名を持つ塔には、ひとりの呪術師が囲われており、その人物が母大后カトリーヌ・ド・メディシス(カテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ)の用命を受けました。
 三代にわたるフランス王の母として権力を握ったカトリーヌが、サン・バルテルミの虐殺以降体を弱め、さらにノストラダムスによりその年の死を予言されていた息子であり国王であるシャルル9世の延命を図るために、より強い託宣で運命を上書きしようとしたというのがそのきっかけです。
 場に居合わせたのは術者とカトリーヌ、そしてシャルル9世の三人でした。
 電灯などもちろんない時代のこと、閉ざされた部屋の中で、わずかにともされた蝋燭の明かりだけを頼りに儀式は進行されました。
 そのために、パリ近郊よりひとりのユダヤ人の少年が連れてこられました。年の頃なら五、六歳、これからなされることはもとより、自らに降りかかる運命さえ知らぬあどけない男の子でした。
 呪術師は組まれた祭壇と設えられていた黒衣の聖母の前で呪文を唱えつつ秘薬を部屋中に散布し、滞りなく前準備を行っていきます。
 やがて万端整ったところで、男の子が祭壇の前に引き出され、そして鋭利なナイフで頸動脈を一閃、さらに呪文とともに大きな刃物を使い体と頭部が分断されました。
 呪術師はなおも呪文を途切れさせることなく紡ぎ、銀皿の上に血の気を失った首を安置させました。
 呪文書を蝋燭で焼き、倒れた十字架に生贄の血を注ぎ、最後に術者の強い言葉で全てが完了しました。
 あとは銀皿の上に乗せられた首に質問をすれば、それに対する回答を与えてくれるというのです。
 おそるおそる、けれども意を決した表情でシャルル9世が首の前におもむき、質問を投げ掛けます。内容は、無論、死を宣告されていた自らの運命でした。
 すると、最前の男の子とは似ても似つかぬ、地より這い出るような声が響きだし、硬くなりはじめた唇からもれ出しました。声は弱く、かすかなもので、シャルル9世にはほとんど聞き取れませんでしたが、辛うじて、
「……Vim patior……」
 とだけ耳に入りました。
 ラテン語で「私は力に屈する」「やむを得ないことになっている」などと解釈できるこの言葉を、シャルル9世は悲観的な意味にとらえ、大変に取り乱して惑乱し一種の恐慌状態に陥りました。
 やがて以前より体調を崩していた国王は病の床に沈み、絶えぬ幻覚を目の前に見ながら「その首をどけろ!」と金切り声で時折叫びながら焦燥を強くし、首占いを目の当たりにした二日後の1574年5月30日午後3時、わずか24歳の人生に幕を下ろしたのでした。

 以上は渡辺一夫による「ヴァンセンヌ離宮で行はれた『死人の首占ひ』の話」(『ユリイカ 臨時増刊 総特集:オカルティズム』1974)を抜粋要約させてもらったものです。これはおもしろい一編なのですが、手に入りやすい単行本に収録されていないのがたまにきずです。

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桂歌丸師匠の噺を二席

 Twitterをやっておりまして、何気なくつぶやいたことが、思いもよらず反応をいただき驚くことがあります。
 今日も昼ごろに他の方が桂歌丸師匠の話をされていたので、なんとなく師匠の噺はゆったりと鷹揚なものが聞いていて心地よくて好きだというようなことをいいますと、それがいくらか注目を集めておりました。
 最初は意外に思ってはいたものの、しばらく考えてなるほどと合点がいきました。
 桂歌丸といいますと、笑点のある種顔のような方ではあり、興味関心を引くことが多いのは自明です。そのうえで、今のように落語が決してポピュラーな演芸ではない時代では、興味があるもののなにから手をつけていいか見当がつかないということになるのでしょう。
 そこでみなさんの好奇心の触手に私のような場末のつぶやきも引っかかった、といういきさつだと考えると納得もいきます。
 そこで乏しい知識ではありますが、個人的な愛聴盤を紹介いたしまして、本日の話題に替えさせていただきたいと思います。

 桂歌丸師匠の録音は主にテイチクとソニーから出ておりますが、テイチクの方は『真景累ヶ淵』と『牡丹燈籠』という怪談のCD何枚組にもなる大ネタで、聴く側もかなり腰を据える必要があります。
 ソニーのから出ているのは東京の有楽町朝日ホールにて毎月1回行われている「朝日名人会」の音源を商品化したもので、桂歌丸をはじめとした当代の名人上手が名をつらねております。
 そのうちTwitterでも書いた『左甚五郎 竹の水仙』がまずは筆頭に挙げたい噺になります。
U_02_FC.jpg 日光東照宮の眠り猫でおなじみの名工左甚五郎を主役にあてた一席で、旅の途上で路銀を使い果たした甚五郎がさんざん飲み食いをした宿屋に自慢の腕を振るって代金と替えるという、あらすじだけ取り出しますと「抜け雀」に近い構成の、かといって衝立から絵に描いた雀が跳び出すという派手がましい趣向もなくどちらかといえば抑えめな噺となっています。
 ところがこれが桂歌丸という演者の手にかかると無性におもしろくなるのですね。
 まずは登場人物の作りがいい。左甚五郎こそ天才肌の職人にありがちな俗世間と無縁なステレオタイプで語っていますが、その相手をする宿の亭主が、いかにもうだつのあがらない人のよさそうな、けれども決して馬鹿正直という風でもない、いかにもどこかにいそうな男に仕立てており、口吻を聞いていて首をかしげるということがありません。
 私は特にこの亭主の、左甚五郎が無一文と知ってから「おい、一文無し」と呼びかけるいい方が好きなのですね。決して居丈高にならず、腹立ちはもちろんあるのですが、相手への親愛もどこかにおわせる口振りで、強い言葉がそう聞こえないところに芸の奥深さを覚えます。
 そしてそういう人のいい亭主とくれば、気の強い女将さんというのは定番ではありますが、ここでも決して高圧的にわめきたてるヒステリーとはせず、直接そういうセリフも描写もありませんが無一文の客をどこか気の毒に思っているような雰囲気をにおわせていていやみがありません。
 さらに結末近くで登場する、甚五郎の細工物を購入しにくる侍が、いかにも奉公以外になにも知らないくそ真面目な堅物で、やはり士農工商という時代にあって権威をかさに着るのではなく性分としての真面目さ故にずれた行動をしてしまうのがわかり、やはりいやな気分にならずにその言動を聴いていられます。
 これらのひとびとのやりとりが、聴いておりまして楽しいのですね。爆笑につぐ爆笑というのではなく、疲れることなく心地よくずっと聴いていられる。
 起伏の大きくない噺ですが、それがかえってじっくりと登場人物同士の掛け合いに耳を澄まさせて、終わった頃には落語というものを堪能した気分にさせてくれる肩は凝らないのにボリュームのある一席です。

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『デッドプール:モンキー・ビジネス』発売前紹介

 発売直前になりましたが(もしかしたら既に販売はじまっている地域もあるかもしれませんが)、『デッドプール:モンキー・ビジネス』の紹介を。(もう一作の『デッドプールの兵法入門』は既に紹介しておりますので、コチラをよろしければご参照ください)
 やはり注目を集めているのはスパイダーマンとの共演作品でしょう。
 メイド姿のデッドプールの登場回を含むとして、翻訳決定前から話題に事欠かなかったエピソードですが、書誌的な話をいたしますと、第2期『Deadpool』誌の19号から21号に掲載されました。発行時期は2010年4月と5月でした。(19、20号は同月発行です)
DP_TPB_04_FC.jpg 個人的には、この話の収録されたTPB(Trade Paperbackの略で、日本でいうところの単行本の一形式です)は、生まれて初めて手にしたアメコミの冊子ということで思い入れが深いです。
 ちなみにTPBのタイトルが「Monkey Business」だったので勘違いされがちですが、このデッドプールとスパイダーマンの共演エピソードの正式タイトルは「Whatever a Spider Can」です。
 どうしてモンキー・ビジネスなんていう題が選ばれたのかについては、本編を読んでいただくとしまして、ただひとつ付け加えれば、このタイトルは決してスパイダーマンとのエピソードだけにかかっているものじゃないという点を念頭に入れておくと、また面白みが増すと思います。

 実は今回の邦訳に関しては、収録作のアナウンスが正式には行われておりません。もっとも『デッドプール:モンキー・ビジネス』という書名と「Whatever a Spider Can」が入っているらしいという公式サイトの告知から、TPB『Deadpool Vol. 4 Monkey Business』の邦訳だと推測はできます。
 そこで、ざっくりとエピソードの紹介を、

「Whatever a Spider Can」:今日も今日とてニューヨークのパトロールに余念のないスパイダーマン。けれども牛乳とバナナを買おうと深夜に立ち寄った(いつものコスチュームのまま)知り合いのスーパーにて、従業員一同が惨殺されているのを発見する。「アイツだ」彼は知っていた。この街に人の命をなんとも思わないヤツがやって来ていることを。すぐさまその足で容疑者を追う。広大な都市だが問題はない。なにしろアイツは自分以上に口数の多い男なのだから……(全3話)
「Do Idiots Dream of Electric Stupidity?」:ジョージア州北部の片田舎を長距離バスに乗って移動中のデッドプール。そして、当然のように、強盗に出くわす。普段なら瞬殺するところが、ふとした油断から手痛い反撃を受け、他の乗客もろとも有り金を奪われてしまう。ヒーローとしてプロの傭兵としてのプライドを大いに傷つけられたデッドプールは早速復讐に向かう。(全1話)

 さらに単行本にはもうひとつエピソードが収録されているのですが、これは割愛させていただきます。是非ともご自身の目でご確認ください。ひとこといえるのは、かなりかっこよく、そして哀愁の漂う話だということです。

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テーマ : アメコミ - ジャンル : アニメ・コミック

人体のユートピア あるいは金関丈夫のこと

 金関丈夫という人がおりました。
 分類するならば解剖学者かつ自然人類学者ということになります。
 人類学と解剖学というこの取り合わせを怪訝に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 けれども、そうした向きには『発掘から推理する』の冒頭におかれた一編「前線で戦死した巫女 ヤジリがささった頭骨」を是非読んでいただきたいと思います。
 このエッセイは長崎県平戸島根獅子という土地の弥生時代中期の遺跡より発見されたひとつの頭蓋骨に残された傷跡と、いっしょに埋葬されていた致命傷となったと思しき矢じりの紹介からはじまり、服飾品や骨の形から性別や役職を推理し、古文献や他の発掘例から死亡状況と当時の習俗を想像するという内容になっていまして、人体に対する解剖学的見地と時代背景への人類学的知識が互いに補い合って論を展開していきます。
 解剖学による人体についての知識は発掘された骨から、文字の残されなかった先史時代の情景を雄弁に物語る文物に似たものであり、人類学知識をもってそれを解読していくのです。
 そして、この非常にスリリングな推理を、最大限に愉しんでいるのは、当の金関丈夫その人であるのが文章からもありありと伝わってきます。

 金関丈夫は明治30年(1897年)に香川で生まれ、京都帝国大学医学部を卒業後、台北帝国大学医学部に進み台湾から東アジアにいたる遺跡での発掘調査に従事しました。戦後は九州大学で教鞭をとり、島根大学、山口大学、帝塚山大学の教授を歴任された、肩書きだけとればいかにも学者らしい学者です。
 ところがひとたび文筆を執れば奔放かつ不羈のテーマと内容で読者を唖然とさせます。
 例えばスサノオ、ヤマトタケル、牛若丸などを挙げての神話以来の日本男子による女装史である「箸・櫛・つるぎ」、古今東西の聖女の神聖なる法悦を性的エクスタシーと考察する「神を待つ女」、日本の古典文学の中から自慰を示すと思しき部位を列挙していく「榻のはしがき」……
 なんだかシモの方に話が集中しておりますが、かと思えば古代の骨を使った占い法について日中の比較を行った「卜骨談義」があり、島根県の独特な地名「十六島(ウップルイ)」を古典籍により考証していく「十六島名称考」などではアカデミックな香りを一気に濃厚にさせます。
 硬いものが続くと身構えれば、和漢洋の書籍をふんだんにちりばめながら語り口は軽やかな「長屋大学」のようなエッセイがあり、アジアのにおいが強くなりすぎてきたと感じた頃には不意に「マドリッドのたそがれ」で昭和初期におもむいたヨーロッパの印象を色鮮やかに描いてみせてくれて泰西の空気を颯爽と吹き込ませてくれます。

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テーマ : 雑記 - ジャンル : 小説・文学

時空を超える志の輔

 先週の『日立世界ふしぎ発見』で立川志の輔師匠が現地レポーター役で出演しておりました。
 見ることができたのは番組終了間際の数分だけだったのですが、ずいぶんと貫禄のついた姿を目にしているうちにむくむくと志の輔熱が沸き立ちまして、ここ数日はもっぱら師匠の落語CDを聴いておりました。

 立川志の輔はご存知五代目立川談志によって率いられた落語立川流の一員です。
 もっとも、多くの人にとっては、NHKの『ためしてガッテン』の司会者といった方が通りがよいかもしれません。(ちなみに私にとっては『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のナレーションの人でした)
 そのテレビの中の人が、名実ともにそなえた落語家であったのを知ったのは少なからぬ驚きでした。
 なんとなくいわゆる名人と呼ばれる落語家という人は、高座に上がるのを専らにしていて、テレビなどのマスメディアには登場しないと思っていました。それだけ落語という演芸から縁遠かったのですね。
 実際、数を聞くようになって落語にも少し馴染んできたかなと思えるようになった頃から、テレビやラジオでお名前をうかがう落語家のみなさんが、本業の方でも名人上手といわれる方々なのだとわかりました。
 まあ、そのあたりは余談といたしまして。
 立川志の輔の落語のひとつの特徴は、常にどこか変化を求めているところにあります。
 例えばサゲを変えるとか話の筋立て自体を整理するといったものから、会話のひとつをいじってみるといったところまで、大小様々ではありますが、時代に即した変化を噺につけようと腐心されています。
 それは戦後すぐの創作落語にありがちだったような、昔からある噺の道具立てだけを現代風に設えるといった、時代に即しているように見えて実際は時代に迎合しているだけのものと異なり、噺の持つ現代性を損なわないために時代めいた部分を改める、噺とも時代とも真正面からぶつかりあった格闘ともいうべきものです。
 私がぼんやりとではありますがその奮闘の雰囲気にあてられたのは、以前このブログでも紹介いたしました「死神」であり、また「新・八五郎出世」と題された演目でありました。
「八五郎出世」は「妾馬」とも題される噺で、大名の側室となった妹がお世継ぎを産んで位が上がりそのおかげをもって大工の八五郎も士分を得て出世するという筋立てでありますが、このいかにも時代劇的な噺を、志の輔は最も注目すべき点を八五郎の立身出世ではなく家族の絆にとり、そこから改作を行って時代設定こそ江戸の昔においたままで、見事に現代の観客の胸にも沁み入るものに仕立て直しました。
 この過去と現代の往来を可能にさせてくれる感覚が、志の輔落語に熱中させてくれる要因なのかもしれません。

 そしてこのあたりの感覚は、創作落語にも表れており、志の輔の師匠にあたる談志が「古典落語は生まれた時から古典だった」という旨をよく語っておりましたが、これは正鵠を射ているところが多く、実際、我々の耳にする機会の多い噺でも、成立は案外新しいものも数あります。
 時代をまたぐ感覚が、耳にする者をして普遍的なものに触れさせるのでしょう。
 特に「みどりの窓口」は、清水義範の小説がもとになっているものの、見事なまでに古典の息吹きを内包して落語に作り変えています。
 仮に今後鉄道のみどりの窓口がなくなったとしても、お役所仕事と人間の自己中心さがなくならない限りここにこめられた諧謔は有効だと確信させられる噺であり、ここからも志の輔の時代を見る目の確かさがうかがえます。

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ヤブ医者三昧

 桂枝雀が好きなんです。
 いろいろとお気に入りは多く、好きなところを数えるときりがないのではありますが、その魅力の大きな要素のひとつにマクラがあります。
 桂枝雀は決して器用な噺家ではありませんでした。
 自分の持ちねたを六十にしぼり、時期によって異同はありますが、それでもこれまで出ている枝雀の音源を並べてみますと、概ね同じ噺がズラリと並んでいます。
 このあたりの加減はマクラにも表れておりまして、枝雀のマクラはいくつかのパターンを使いまわしています。
 ところがそれが欠点になるわけではなく、日が違い場所が異なると、同じマクラでもまた耳に入りようが変わってくるのですね。
 このあたり専心の妙技という感じがします。

 個人的にすごく好きなマクラは、ヤブ医者のタイプ毎紹介で、分類好きな枝雀はここでも得意の解釈眼をひらめかせて、3種類のヤブ医者を演じてみせます。
 まずは陰気なヤブ医者で、ボソボソと喉の奥で言葉少なくつぶやいていきます。
「はい、それでは胸の検査をしますから、私のいうとおりに呼吸してください。はい、吸ってください。はい、吐いてください。はい吸ってください。はい吐いてください。吸ってください。吐いてください。吸ってください。はい。吸ってください。はい。吸ってください。吸ってください。吸ってください吸ってください吸って……お顔の色が悪いですよ?」
 次にやたらと元気なヤブ医者。これはもうそのまま跳びあがるんじゃないかというくらいの勢いです。
「はーいー。どうしたどうしたどうしたー? なぁにぃー? 風ァ邪ひいたぁ? このバカ」
 そして最も実害の大きそうな、なんでも手遅れだというヤブ医者。
「なんでこないになるまで連れてこんかったんじゃ! 手遅れじゃ」
「なんでこないになるまで連れてこんかったんじゃ! 手遅れじゃ」
「なんでこないになるまで連れてこんかったんじゃ! 手遅れじゃ」
「いやいや、これ今屋根から落ちたんでつれてきたんでっせ。わて、前から先生にゆうてやろうやろう思うてましたんや。あんた、いつ連れてきても手遅れじゃー手遅れじゃーていいますやろ。つい今落ちたところのやつでも手遅れでしたら、いつ連れてきたらようおますねん」
「屋根から落ちる前じゃったらよかったんじゃがのう」

 私の文章だと他愛なく写るでしょうが、これが枝雀の口ぶりと手振りがあわさりますと、間といい声音といい表情といい抜群におかしく、ただし爆笑とまではいかず、本題の噺への準備を整えさせてくれるんですね。
 実際のヤブ医者は困りますが、本番を引き立ててくれる不調法ならありがたいものです。

 このヤブ医者づくしのマクラは、現在入手しやすいところですと『枝雀落語大全 第十一集』の「ちしゃ医者」に収められています。
 マクラに負けず劣らずのヤブ医者の出てくる噺ですが、枝雀のやさしい目線が、ずいぶんとあたりを柔らかくしています。
 併録は「饅頭こわい」。このブログでもちょろっと書いたことがありますが、上方落語での同演目は大ネタで、ただ単にまんじゅうを怖がる男をとりまく滑稽噺というだけでなく、妖異譚あり怪異譚ありの怪談噺の様相を呈する盛りだくさんの内容になっています。まだ聴いたことがないという方には強くおすすめしたい題目のひとつです。
 どちらも枝雀の提唱していた緊張と緩和のよく表れる噺で、枝雀を初めて聴くにも適した一枚です。

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よりぬきデッドプールさん番外編: Deadpool's Art of War(『デッドプールの兵法入門』)

 9月です。今年も残すところ1/3ですね、なんていっている場合じゃありません。
 つい先日、『アイデンティティ・ウォー:デッドプール/スパイダーマン/ハルク』『デッドプールvs.カーネイジ』が2冊同時刊行されたばかりですが、9月16日にはさらに2冊、デッドプール主役の単行本が邦訳刊行されます。
DAW_FC.jpg ということで、今回は宣伝の意味もこめまして、そのうちの一冊『デッドプールの兵法入門』の紹介を。
 原題が『Deadpool's Art of War』で、英語の「The Art of War」はマキャベリの『戦術論』と中国古典の『孫子』にあてられているようですが、一般的には後者を指すことが多いらしく、このコミックスで描かれているのも『孫子』の方です。
 ひょんなことから『孫子』の著者原本(現在は散佚、というか存在したかどうかも怪しい)を入手したデッドプールさん、こいつは一獲千金のチャンスとばかりに、早速出版社に意気揚々出向きますが、現実は厳しく「いまさら『孫子』の新訳なんて間に合ってます」と手痛い門前払いを受けます。
 けれども出版社のもらした「もっと新しい切り口から解釈したものならともかく」というひと言に活路を見出し、「なら実際の戦時下でこの『孫子』がどれだけ役立つか教えてやるよ」と意気込みます。
 そうしてデッドプールによる壮大なマッチポンプ計画がはじまるのでした……

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