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赤瀬川原平という人

 赤瀬川原平のことを考えると、いつの頃からか、私はまず「出口」を念頭に置くようになっていた。
 もうひとつの顔である、尾辻克彦名義で発表された短編小説で、この作品を表題作にいただいた作品集に収録されている。
 中年を過ぎたと思しき主人公が、深更に家路を急ぐ最中、うんこをもらしてしまうという経緯を、感慨も含めて丁寧に描写した好短編だ。
 十ページほどの極短い紙幅は、次の文章をもって締められている。

 予想したよりかなり手前に、そのモノらしきものがあった。それはそうだねえ、清原はしぶといよ、と家人に相づちを打ちながら、通り過ぎざまにシカと見ると、モノとはいってもかなり形崩れしている。そのなりたちを考えれば当然のことだ。あるいはその後、誰かが踏んづけたのかもしれない。もう風化しはじめていもいるだろう。ちょうど知り合いとすれ違ったらしく、家人が軽く会釈している。私も頭の傾きを少し同調させながら、それでも犬のものとは違うと思った。どちらかというと馬のものに似ている。


 自らの体から生まれて、自らとは訣別したものを、再び自らに引きつける文章的営為としてはまったく過不足ない名文だ。
 数日前に自分の肛門から望まれず放出されたうんこである。パンツを我が物顔でクラウチングスタートの要領で飛び出し、ズボンの内側を熱と汁と臭いを分け与えつつ、ももにひかがみふくらはぎを撫で、靴下に手をかけて、ようやく裾からひょこりと顔を出して行きがけの駄賃とばかりに靴にも別れのあいさつを行って地面に転がった張本人だ。身も世もない情けなさを味わわせ、妻のもの笑いを買う原因となった下手人だ。
 にもかかわらず、既に「私」はそれに憎らしさや厭わしさ以上に愛着を覚えつつある。なにしろものはものでもモノなのだ。そこらの犬ころのものとは生まれが違う。馬のものに似ているモノだ。馬並みとくれば、老境を間近に控えた齢としても、これは自慢である。
 けれども馬のものも似てはいても、それは同一物ではない。所詮はものであって、モノからは遠く隔たっている。なにしろこいつは「私」のモノなのだ。
 こうして自らの意志に反してもらしてしまったうんこの再同一化は果たされて、再び主題化することが可能となったところで「出口」は幕を閉じる。

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テーマ : 雑記 - ジャンル : 日記

『見越入道、見越せたか』のこと 付見越し入道

ミアゲニュウドウ 東京などの子供が見越し入道というのも同じもの。佐渡では多く夜中に小坂路を登って行く時に出る。始めは小坊主のような形で行く手に立ち塞がり、おやと思って見上げると高くなり、後には後ろへ仰けに倒れるという。これに気づいたときには、
   見上げ入道見こした
という呪文を唱え、前に打ち伏せば消え去るといい伝えている(佐渡の昔話)。壱岐では東京と同じに見越し入道というが、夜中路を歩いていると頭の上でわらわらと笹の音を立てる。その時黙って通ると竹が倒れかかって死ぬから、やはり「見越し入道見抜いた」といわなければならないといっている(続方言集)。
ニュウドウボウズ 入道坊主、見越し入道のことである。三河の作手村でかつてこれを見たという話がある。始めは三尺足らずの小坊主、近づくにつれて七八尺一丈にもなる。先ずこちらから見ていたぞと声を掛ければよし、向うからいわれると死ぬという(愛知県伝説集)。

柳田国男「妖怪名彙」


 現在では数多ある妖怪のなかでも知名度は中ほどな見越し入道ですが、江戸の世ではかなりポピュラーな、それどころかなくてはならない存在でした。
 江戸前期に著された奇談集『宿直草』(一六七七年)には「見越し入道を見る事」と『百物語評判』(一六八六年)にも「見こし入道」と、それぞれ一章を割かれているほどですから名前のある妖怪としましてはかなりのベテランということになります。
 こうした初期の文章では、日の落ちた夜分に、突如天を突くような坊主が現れて人を驚かせるということが書かれるばかりで、柳田国男の挙げているような呪文や声掛けは出てまいりません。
 それどころか『宿直草』では古狸などの化けた姿、『百物語評判』では月の光でおぼろにうつる自分の影法師と、どちらも純粋な妖怪ではなく正体のあるものとしてにべもなく言い切ってしまっております。
 もっともその真の姿のあることがかえって人の親近感を沸かせたのでしょう。やがて時代がくだり、十八世紀後半から十九世紀初頭に流行した「黄表紙」と呼ばれる草双紙では、妖狐や一つ目小僧などといった妖怪とならんで欠かせぬ存在として数々の作品に登場し、地位も妖怪の頭領として堂々とした席が用意されることになりました。もっとも黄表紙はパロディや諧謔に満ち溢れた笑いの文学ですので、親分といった権威ある座を占めているキャラクターほど茶化される率が高くなるのですが。
 見越し入道の権威化は黄表紙とちょうど同じ時期に花開いた天明狂歌の、その怪異歌ばかりを集めた百歌集『夷歌百鬼夜狂』(一七八五年)が、平秩東作の

さかさまに月も睨むと見ゆるかな野寺の松の見越入道

 より開幕し、唐衣橘州の

赫と開く大の眼にかかる世の千代の栄や見越入道

 で締めくくられることからもうかがえます。
 しかし、こうなってきますと、見越し入道自体が妖怪化した理由への興味が俄然わいてきます。
 付喪神が古道具が百年を経て、化け猫が主の血をすすって恨みを伝播されという具合に、妖怪の来歴や由縁はその存在自体の説得力をいや増し、不気味さをも付帯させます。
 それが古狸の化けた姿や自分の影に自分で驚いたでは少々箔がつきません。
 何故入道という僧職にあったであろうものが妖怪化したのか。そもそも人が見上げるほどの長身になるのはどうしてなのか。
 特異な個性だけに、もっと見越し入道自体のアイデンティティを確固としたものとするに足る由来を知りたいと思うのは当然の欲求でしょう。

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テーマ : ブックレビュー - ジャンル : 小説・文学

百年の歩幅

 かつて全世界をスペイン風邪と名付けられた病魔が席巻したことがあります。
 全世界などと書きますと、いかにも大袈裟で、かつ言葉が軽々しく受け取られてしまうかもしれませんが、一説によれば十億人が罹患し、少なくとも二千万人が死亡したと言えば、決して言葉のあやでも比喩でもないことが御理解いただけるかと思います。
 これほどまでの惨状を引き起こした流行が、しかも有史以前の未開時代どころか、近代をも経過した二十世紀、一九一八年から翌一九年にかけて起こった、つい百年にも満たない以前に起こったことなのです。
 スペイン風邪は、名前とは異なり、風邪ではなくインフルエンザであり、当時スペインでの流行が大きく取り沙汰されただけで発生が同地であったわけでもありません。
 一九一八年半ば頃よりヨーロッパで流行しはじめたこのインフルエンザは、まず人類における最初の世界大戦の主戦場で目立って猛威をふるいはじめます。
 例えば戦争末期に参戦を表明したアメリカ軍の投入した兵数二〇八万人は、戦線において五万人の犠牲者を出していますが、そのうちスペインインフルエンザによる犠牲者はおよそ八割を占めたとされます。
 それどころか、五年におよぶ第一次世界大戦の全戦死者六百五十万人の数倍にあたる人間が、二年間のこのインフルエンザの流行によって命を落としているのです。
 流行はもちろん日本にも飛び火しています。
 大正七(一九一八)年秋から大正十年春まで、収束と再流行をくり返し、最終的な犠牲者は三十八万人、インフルエンザ発症による気管等の他臓器不全での死因を含めれば五十万人にものぼるといわれています。
 一九一八年から一九二〇年にかけてといえば、最近なにかと話題にのぼることの多い、日本の軍艦でいいますと、金剛型の戦艦は霧島まですべて就役が完了していますし、長門も既に進水が行われています。
 その後の太平洋戦争で使用される軍艦が整備されはじめていた時期であり、決して歴史から遠く隔たった時代の話ではありません。

 医学の進歩は着実にこうした凶悪な感染症被害を抑制しつつあります。
 けれども、その歩みは決して大きく過去を引き離したものではなく、それどころか振り返ってみれば、ほんのすぐ後ろに凄惨な犠牲者の山が築かれているのです。
 それを思いますと、現在起こっている新たな犠牲もまた、身近な看過しがたいものに思えてきます。

テーマ : 雑記 - ジャンル : 日記

よりぬきデッドプールさん:WADE UNTIL DARK

 台風の影響で仕事がはやく終わりましたので、二日連続のブログ更新を。

 先月末に『デッドプール:スーサイド・キングス』の邦訳版が刊行され、アニメ『ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ』にまでついに登場し、世のマニアックなお兄さん方ばかりでなく、お茶の間のお子様にまでその名前をとどろかせた我らがデッドプールさん。
 来年早々にも次の邦訳の刊行が決定していて、ますます目が離せませんが、目といえば、デッドプールは一般の人々とは少々異なるものが見えています。(少々強引な導入ですが)
 これには大きく分けて二種類の視点が存在します。
 まずひとつ目は、「第四の壁の破壊」にまつわる、コミックの向こう側、つまりは読者である私達のサイドが見えているというものです。ある種デッドプールを象徴するほどに有名な能力ですね。
 もっとも、こちらに関しては、物語自体を破綻させかねないというリスクもあって、有名な割にはあまりストーリーラインで積極的に使用されることはありません。特に話の規模が大きなものになればなるほど、なかったも同然な形になります。
 このあたりを評して「空気の読めるキチガイ」なんて呼ばれたりもしています。
 この第四の壁を無視する視点は、いってみればデッドプールの所属する世界、コミック界の住人と異なる視点です。
 デッドプールの一般人から逸脱するもうひとつの視点というのは、そこにさらに私達コミック読者も含めた全員とも異なるもので、いわゆる幻覚になります。
『スーサイド・キングス』を読まれた方でしたら、作品中で突然『オズの魔法使い』の登場キャラクターに扮したデッドプール一行のページが挿入されるのを覚えていらっしゃるんじゃないでしょうか。ああいうやつです。
 あの手の幻覚は、もうしょっちゅう、それこそ雰囲気がギャグだろうがシリアスだろうがところかまわず登場しています。TPD05.jpg
 このふたつを含めてデッドプールは自分の視点が特殊なことを知り抜いており、わざわざ「プール・オ・ビジョン Pool-O-Vision」などと呼んでいることは、『スーサイド・キングス』の解説小冊子でも書かれている通りです。
 前置きが長くなりましたが、今回紹介したいのはこのプール・オ・ビジョンに焦点をあてた一編「DEADPOOL: WADE UNTIL DARK」です。
 もとは第二期デッドプール誌第25号「TRICKY Conclusion」のオマケにつけられていたもので、単行本であるTPBではvolume 5に収録されています。

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冬コミへの道(決起編)

 ひさしぶりの更新です。読んでくださっている方には、どうも申し訳ないです。

 たまには創作活動の方も書いておかないと、「こいつ、何やってる人なの?」と思われそうですので。
 今回、御縁ありまして、Amaranthのみさごさんよりお誘いいただき、艦隊これくしょんの天龍龍田合同誌に参加させていただける運びとなりました。
 企画ページはこちらです。

 艦これは去年の7月頃からマイペースでやっていますが、龍田さんと加賀さんのキャラにかなりいかれまして、PixivやTINAMIの方で思いつきの小説を書かせていただいております。それを御覧になられた主催さんより連絡いただいたのですね。
 できるだけ読者の方のイメージを破らないものにしたいと思っています。できたらいいな。ま、ちょいと覚悟はしておけい。
 ハイ、ガンバリマス……

テーマ : 二次創作 - ジャンル : 小説・文学

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