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真珠は夜開く

 坂口安吾に「白痴」という小説があります。
 いかにも硬質で、武骨さすら覚えるタイトルであり、「桜の森の満開の下」「風と光と二十の私と」「夜長姫と耳男」などの作品名を知る人ならば、これが本当に同じ作者から生まれた言葉なのかと愕然となるでしょう。
 この漢字二文字の字面には、においたつ叙情も諧謔もなく、ただ荒涼とした厳めしさがただようばかりです。
 けれども、だからといって、「白痴」が傑作である事実、特に戦後の日本文学の到達点を示す一つの頂である事実は覆しようもありません。
 本土空襲の日常化した太平洋戦争末期、戦争という狂態に翻弄されながらも日常にしがみつこうともがく主人公とその家にひょんな拍子で転がりこんできた白痴の女。それが空襲の破局のなかで転倒し、とうとう自意識に国家の戦争すら取り込んでしまう。満目荒涼たる焼け野原が続いているはずの最後の視点が、にもかかわらず清々しく爽やかに思えるのは、主人公の変化が静かに激情をともなうことなく行われているからでしょう。
 東京のうら寂れた裏路地の人々の生活が活写され、だからこそ横溢する閉塞感とその外への向かう解放感の対比が鮮やかに描いてしまいます。
 まったく「白痴」は美しい小説です。
 この時の安吾の手にかかれば、庭の豚小屋もしきりと羽ばたきをくりかえす鶏も、ドブの水をたっぷり含んだ安布団ですらきらびやかな光芒をたたえて輝きだします。
 昭和二十一年六月、終戦から一年も経たずして、こんなにまで美しく廃墟と化す東京の様を書いてしまった坂口安吾という人の文章の腕と胆力には、ただ驚かされるばかりです。
 しかし、灰燼に帰しつつある東京の様を、生活のにおいを絶やすことなく、ここまで美しく書いた作家と作品を私は知りません。
 だからこそ「白痴」は戦後文学史の幕開けを知らせる時告げ鳥としての役割を十分すぎるほどに果たしているのでしょう。

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