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恥ずかしい告白つき 男爵事始(4)

 寝るのがというより、ごろんと横になるのが好きで、疲れていなくともついついベッドに突っ伏して、体を伸ばしています。
 おかしなもんで、そういう時ほど、考えがまとまったり、忘れていたことを思い出したりします。もっとも、メモに手を伸ばすのが面倒で、だいたいすぐに頭の中から抜けてしまうんですが。
 けど、
「あれ? デュークって男爵じゃないんじゃ……」
 さすがに、これは忘れるどころの話じゃありませんでした。

 というわけで、見事なまでのまちがいです。
 別に、なにか含みがあったとか、そんな高尚な理由からでなく、完全に勘違いしておりました。
 なんといいますか、中学生レベルの英語どころじゃありません。
 そんな奴が、えらそうに「英語のライナーにこう書いてました」とかいってるんですから、恥ずかしいことこの上ありません。
 気づいた瞬間、顔から火が出るどころか、血の気が引きました。
 しかし、ここでしれっと公爵事始となおしていくのも、あんまりおもしろい話でもありません。
 そこで、自戒の意味もこめまして、デューク・エリントンのアルバム聴取日記は今後も「男爵事始」でいかしてもらうことにしました。
 この先、御覧になられる方がいらっしゃいましたら、せめてその時は「ああ、まだ馬鹿やってんだ」と笑ってやってください。

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聖なるかな願い 男爵事始(3)

 デューク・エリントンを聴こう、と思いいたって三枚目に手に取ったのは、『Duke Ellington’s Concert of Sacred Music』(1966)です。
 特に深い意図があったわけではなく、直前に聴いた『エリントン・アット・ニューポート』の盛り上がりが耳に残っておりましたので、ライブ盤でできるだけ年代の下ったものをまた聴きたいと考えたところ、目についたのがこの作品だったのです。
 日本版が出ているのかはよくわからないのですが、仮に邦題をつけるとするならば、『デューク・エリントンの宗教音楽コンサート』でしょうか。なんだか、日曜の教会のイベントみたいです。
 しかし、これが「みたい」ではなく、本当に各地の教会で神に捧げる曲を演奏して回ったコンサートライブツアーだったとのことです。
 ライナーノートによりますと、一九六五年九月十六日、サンフランシスコのグレース大聖堂で初めてのコンサートが開かれ、次いで十二月二十六日ニューヨーク五番街の長老派教会にて再演とのことですから、北米大陸の西の端と東の端で行ったことになります。
さらに年を明けますと(通常の)ヨーロッパツアーの最中のイギリス、アメリカに帰国後はブルックリン、ボルチモア、ボストンなどの諸都市で求められるに応じてくりかえしたと書かれています。
 アルバムにおさめられているのは、そのうち上記の十二月のニューヨークのものです。

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新しい港をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう 男爵事始(2)

 今さらながらにデューク・エリントン、特にビッグバンドへの興味が強まりまして、アルバムを渉猟しています。
 今回、といいましても二枚目ですが、入手したのは『エリントン・アット・ニューポート1956 Ellington at Newport 1956』です。
 最初に手に入れた『ニューオリンズ組曲』の解説では、もともとあの組曲はコンサートにてお披露目されたと書かれておりました。「これは是非とも聴いてみたい!」と思ったものの、どうやらそのコンサートの模様は盤になっていないらしんですね。
 それで、コンセプトの似通ったアルバムがないかと探すうちに、巡り合ったのがコレというわけです。
 ニューポート・ジャズフェスティバルは野外ジャズコンサートの代表格で、エリントンはその催しのシンボルとなる楽曲を依頼され、一九五六年の同コンサートにてお披露目をしました。このアルバムは、そのライブ模様を録音したものということになっています。
 ちなみに、私の購入した盤は、ジャケットやらCDケースの背やらに、やたらとコンプリートの文字の躍る二枚組でした。
 なにしろコンプリートですから、既発の作品になんらかの補完がなされたものなのだろうというところまでは想像がつきます。案の定、裏ジャケットの曲名には未発表という単語があちこちに。(ちなみに旧盤の正式発売は一九五六年とのことです)
 けれども、コンプリートと銘打っているからといって、うかうか安心もしていられません。
 ジャズで例をあげれば日本企画のマイルス・デイヴィス『完全盤プラグド・ニッケル・ライブ』のように、ジャズでなければ吉田拓郎の現行CD版の『COPLETE TAKURO TOUR 1979』のように。コンプリートなのは心意気だけだった、みたいな話は結構頻繁にあります。
 そういういやな予感を、各トラック名の後ろについたかっこ書きのLiveやStudioといった文字があおります。といいますか、この二つはわかるのですが、そのほかのProductionとは? おまけに、なにもふられていない曲まであるのですから、CDをプレイヤーに挿入する前から混乱は最高潮です。

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モー行四段活用

 小松和彦の『悪霊論』中に「雨風吹きしほり、雷鳴りはためき…… 妖怪出現の音」というなかなかに長い題名の一編があります。
 ごく大雑把にいいますと、妖怪が現れる際にたてる声やら音やらについての考察です。
 たそがれ時は誰彼時などとも書きますが、陽が落ちて、彼方と此方の境目もあやしくなった頃より、人の世から妖怪などが跳梁跋扈をはじめる時間に移っていくはざまの時刻です。
 しかし、なにぶん、闇の世界のお話ですから、人間からしたら妖怪の姿を認識するのも一苦労です。
 だとすれば、妖怪には登場時に、「あっ、あれは妖怪のたてている音声に違いない」とわかるような、独特の鳴き声やら物音があるのではないか。という疑問を出発点に、小松和彦は論を進めていきます。
 もっとも、この妖怪のたてる声や音については、早々に答えが出てきます。

 一般にいわれている妖怪出現の音、というよりは妖怪の声は、「お化けだぞー」である。つまり、妖怪は自分から名乗りを挙げなくては、人々に妖怪と理解してもらえないことが多かったらしいのだ。これは近年の妖怪の勢力が衰退してしまった時代の新しい事態なのだろうと思いがちであるが、柳田国男の『妖怪談義』以来、民俗学者たちが注目してきた民俗社会における妖怪たちも、その出現時における音(声)はこれと同様であった。

 残念ながら、聞くだけで身の毛もよだつような怪奇な声音というものは、人間の文字や口承伝承では残されていないようです。

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