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体臭デモクラシー

 体臭の話がもう少し続きます。
 前はラブレーとセルバンテスについて書きましたが、今回はうってかわって日本の作品を。
 金関丈夫は比較文学エッセイ「わきくさ物語」の中で、体臭の発生を主に人種的な体質の差違に起因させています。
 解剖学者でもある金関らしい視点で、同じ見地からの興味深いデータも掲載されていますが、それ以外のにおいの要因として、生活習慣も看過はできないでしょう。

 日本人の体臭があまり強くなかったのには、一つに肉食の習慣が薄かったという点も挙げられるでしょう。
 幻想的な作風の傑作短編集『冥途』の著者として知られる内田百間は名エッセイストでもあり、その一編である「薬喰」(1934)では、幼少期に虚弱だった肉体を補うため、薬食として牛肉を初めて食べた後の経験を次のように書いています。

 牛肉をどのくらゐ食つたのか覚えてゐないけれど、後に口の臭味を消すためだと云つて、蜜柑を幾つも食べさせられ、なほその上に、お酒を口に含んで、がらがらと嗽ひをした後で、叔母さんの鼻先に口の息を吹きかけて見て、大丈夫もうにほはないと云ふことになつて、それから寒い夜道を俥に乗つて家に帰つて来た。

 百間は明治二十二(1889)年生まれですので、この経験は明治二十年末から三十年代のことと考えられます。生家が造り酒屋だったため、特に四つ足の侵入を戒めていたとのことで、この頃ではさすがに少しばかり異様とも感じられる厳戒さをもって肉食に臨んでいたようですが、それでも同じ時期に友人たちの間で、「裏の屋根屋の兼さんが、屋根から落ちて、大怪我をしたぞな。仕事に出る前の晩、肉を食べたんぢやさうな」などという噂話が口に上るくらいにはまだタブー視が残っていたようです。

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ありがとうがうまくいえなくて

 丸谷才一には恩がある。
 と申しましても、一面識だにあるわけもなく、遠望から後背を拝する機会すら得られなかったのですから、まったく一方的な片思いです。
 それは庇護の恩、ただし個人的なものではなく、日本語に対する庇護の厚恩です。
 文章を書く人間にも美意識があります。象徴的・思索的なものでなく、もっと直接的な視覚に訴えかける美意識です。
 ぱっと開いた一ページがどのように見えるか。段落の配列、句読点の位置、漢字とかなのバランス……。それら諸々の因子に気を配って、文章を仕立てていきます。
 ところが、その美意識を発揮する段で、現代の日本語はとんでもない不自由を強いられています。
 仮名遣いの分断と漢字の種類の制限さらに字体の簡略化です。これらは自身に新の字を冠し、そればかりか時代を経て伝わってきた側に旧の字を押しつけて、いかにも旧弊固陋なイメージを塗布しました。
 その結果、私の敬愛する百鬼園先生は生涯強く通した仮名遣いを改められ、もんがまえに月という正字の名前をPC環境で共有することさえ許してもらえません。さらに、やはり慕ってやまぬ、『私が殺した少女』で直木賞を獲得したハードボイルドの正統的継承者である一人の作家は、寮という字からうかんむりを抜くというたったそれだけのことがかなわないのです。
 なんとも窮屈なルールにがんじがらめにされ、美意識を満たすかもしれない可能性をはなから抹消されているのです。
 けれども、ここに一人丸谷才一という人物がいて、制約だらけのはずの文章の道を、悠々と散策しておりました。
 小説の世界では物語の中で登場人物を闊達に動かし、エッセイでは和漢洋の典籍に由来する博識を自家薬籠中のものとした薫香やわらかな世界を開き、書評は万巻より適切なものをみずみずしくしらしめる。
 文末に添えられた用字例には、小癪な制限を吹き飛ばすたくましさがあり、そこで見せつけられる美意識に嘆息するとともに意を強くさせられました。
 そして、それらの文章には、著者自ら楽しんで書いているのが伝わる、豊かな抒情が常に内包されておりました。
 このようにして半世紀以上にも渡り文章が書かれたことは、それ自体が日本語を庇護することであり、同時に日本語を鍛えることでもありました。
 どうして一人の文章作者として、感謝を言葉にしないでいられましょうか。
 同時に今日までの庇護を思い、明日から大きな支柱を失った日本語について考えると、ますます恩の厚さを感じずにはいられなくなってくるのです。

におい甘いか酸っぱいか

 金関丈夫の「わきくさ物語」は小品ながら、日本と西洋の文学の根本的な差違を活写した、比較文学エッセイの傑作です。
『若草物語』をもじったのは明らかな、このタイトルの「わきくさ」はすなわち腋臭で、端的に述べるならばわきがのことです。
 この一編は日本の古典(それは『万葉集』からはじまります)から、わきがや体臭がいかに厭われていたかを、時代時代で例を引いて解説していき、それに対して西洋文学では、むしろ逆にこの体臭が異性を惹きつける道具に利用されていたと、やはり豊富なサンプルを挙げて語っていきます。
「匂う人種には匂う文学があり、匂わない人種にはこれがない」
 文頭と文末の二ヶ所に置かれた一文が、体臭の少ない日本人においては、そのにおいを嗜好とする文化が根付かなかったことを言い表して余りあります。
 体臭を扱った文学作品にはどのようなものがあるのか、また、それでは日本人はその体臭を文学に取り上げる際にはどういう手法を用いたのかについては、本編をお読みいただきますようお願いいたします。岩波文庫の『木馬と石牛』に収録されておりますので、入手はさほど難しくありません。
 ここでは、そのエッセイを読みまして、私なりに思いついたことを徒然と書き流していきたいと思います。

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海に棲む坊主と修道士

 正直こわがりな性質なので、その手の話は苦手です。
 特にビジュアル面での恐怖はまったく免疫がなく、映画にしろ絵画、マンガ、写真……、もうどんなものでも一目見ただけで視線を逸らし、それでも速くなった動悸を治めるのに苦労するほどですから、胆の小ささは思い知られるというものです。
 文字や語りでは、ぱっと見のインパクトがまだ薄いだけに、多少はがんばれるのですが、それでも佳境に入ってくると口の端からだらしない悲鳴がとめどもなくもれてきて、周囲の人から変な目で見られることになります。
 だもんで、このブログでいろいろ紹介している落語でも、真正の怪談噺は苦手でして、サゲがあったり幽霊やお化けの類が出てきてもキャラクター化されていたりと、笑って済ませられるものしかあんまり聞けません。

 そんな私が、年に何度か読み返したくなるのが岡本綺堂の怪談小説で、舞台となる江戸から大正までの時代に描かれた怪異の字面を追いかけるだけで背に粟が立つのに、ある程度の間をおきますと不思議とそれらの怪奇がなつかしくもいとしいものに思えてきます。
 このあたり幽明の境を重ならせる、綺堂の玄妙の筆の力のなせる業で、「白髪鬼」や「木曾の旅人」「西瓜」などの諸編は、再読のたびにあやかしの気に充ちた世界へ没入させられます。

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