スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

そんな柄でもないけれど

 先日、Rachel DiNittoの”Uchida Hyakken A Critique of Modernity and Militarism in Prewar Japan”を読み終わりました。
 洋書を頭からしっぽまで読み通すのは初めての経験で、わからない単語を辞書で引き引き一年以上かかりました。
 改めて自分の語学力が、中学生の頃からまったく進歩していないことに呆れ果ててしまいました。

 本書は訳すとするならばタイトルは『内田百間 日本の戦前における近代性および軍国主義批判』でしょうか。
 このブログでも何度か紹介しております、作家内田百間論として展開されております。
 メインで取り扱われているのは『冥途』(1922)と『百鬼園随筆』(1933)、『旅順入城式』(1934)、それに連作中編とでもいうべき「東京日記」(1937)で、特に小説作品についていうならば、戦後発表された「サラサーテの盤」を除いて文集に収録される頻度の高いものはほぼすべて網羅しているといえます。
 同著者の手によりまして、『冥途』『旅順入城式』は既に英訳刊行されているのですが、未刊の「東京日記」およびそれ以外の著作への読み込みも丁寧で、恣意的ではありますがそれでも出来る限り広範囲の作品が紹介読解されています。
 日本の軍国主義に対して百間が意識的に批判を行っていたとする著者の見解に、私は必ずしも賛同するわけではないのですが、それでも226事件や満州事変などの史実から、百間の作品に根差す批判性を指摘する論理的手腕は見事というほかありません。
 ついつい百間自身の文学報国会評である「文士が政治の残肴に鼻をすりつけて嗅ぎ廻つてゐる様な団体が無くなつて見つともない目ざはりが取れてせいせいした」(『東京焼盡』昭和二十年五月十八日)を鵜呑みにし、政治的な発言をよしとしないという風に思い込もうとしていた私自身の研究態度の低劣さを反省するばかりです。
 私の不勉強はいまにはじまったことではありませんので、ともかくとしまして、この百間論はいずれきちんとした翻訳者の手によって、日本語として手軽に読める形態になることを強く望みます。

続きを読む »

スポンサーサイト

落語国妖怪紳士淑女帳「質屋蔵」

 落語の世界には種々様々な異界の住人が登場します。
 幽霊からはじまりまして、狐狸の年経たもの、化け猫、果ては先日まで犬だった男など、ヴァリエーションも豊かで、名人上手による口演は、形の定かでないモノたちを実に鮮やかに語りあげて、すぐ身近にいるような気にさせてくれます。
 もっとも、多くの噺を江戸から明治あたりまでに舞台をとっているからといいまして、必ずしもそうしたモノを自明のこととしているわけではありません。
 昔も今も、幽霊と聞けば眉に唾をつけますし、妖怪が出るなんていえばおかしな顔をされます。ただ、「でも、もしかして」と思う瞬間が、今よりも昔の方が少しばかり長かったんです。
 一つ一つの情景を丁寧に重ね合わせまして、その「もしかして」の瞬間を引き伸ばして、次第に彼岸を此岸にたぐり寄せてくる。
 そうして気付いたときには、目の前にぽっかりと異界が口を開いている。この対面が、最高にゾクゾクときまして、落語に限らず物語に接していてよかったと思えるひと時なのです。
 そんな落語の噺の一つに「質屋蔵」を挙げることができます。

続きを読む »

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。