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石鹸と蚊取線香と古着と

 掃除をするからと、職場の休憩室を追い出され、そのまま仕事にもどるのも癪なので、ここのところ御無沙汰だった古本屋さんをのぞいてみることにしました。
 書架にならんだ本の背表紙をながめていきますと、すっかりおなじみになったベテランの間にひょっこりルーキーが顔をのぞかせ、その顔ぶれだけでも楽しくなってきます。
 そのうち一冊、値段も手ごろで、興味のひかれるタイトルがありましたので、衝動買いと決め込んでレジに足を進めますと、そこには少なからず意表を突かれる光景が待っておりました。
「セッケンさしあげます。(一人1コまで)」
 かごに入れられて、十個ばかりのせっけんが、レジのわきに手書きの札を立てて置かれておりました。
 紙の箱に入った、市販のもので、どこにも特別なところがないのが、かえって奇異さをかもしだしてきます。
 よほど目がそちらに引きつけられていたのでしょう、釣りを手渡す間際、店主のおやじさんが、
「よかったら一つどうです?」
 この間と口調が絶妙でした。私はついおかしくなって、
「それじゃあいただきます。ありがとうございます」
 個人的にはせっけんのというよりは、おやじさんの話芸へのお礼のつもりでそういって店を後にしました。
 手には包んでもらった本と、昔ながらの牛乳石鹸をさげまして。
 帰宅後、本より先にせっけんを取り出しますと、洗面所に持っていこうと思ったのですが、なんとなく気が進まず、今使っているPCラックの上に置いてみることにしました。
 私の色合いの乏しいPCまわりでは、牛乳石鹸の赤い箱は不思議と精彩を放っています。
 すると、かぎなれたはずの、せっけんの香りもずいぶんとモダンなものに思えてきました。

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合縁奇縁

 植草甚一の自伝的エッセイ「それでも自分が見つかった」を読んでいると、全身がむずむずするくらいにとてもうれしくなる場面に出くわしました。

 すくない常連の溜りになるのが当時の喫茶店の特色であって、はた目にもそれが面白く映るから、似たような店を持ちたくなってくる。ぼくの場合は学校での顔があるし、仲間たちの溜りにしたかったが、それには足場が悪かったのだ。
 もうちょっと書くと昭和四年に「ドム」というガラス張りの喫茶店が、早大正門前の一つ先の通りにできて、一日の上がりが驚いたことに八十円あった。変てこな比較になるが、当時できたての日比谷公会堂の貸賃が一日八十円で、飛行館が二十円だったし、ほかには一軒もないほど繁盛した「ドム」は、うらやましがられたものだった。
 すると正門前の稲門堂書店が向こうを張って二階に喫茶室をつくった。そこへ狩野近雄が毎日のように姿をあらわすので、ぼくも出かけては一緒に芝居の話ばかりしていたっけ。どうも話がごたついてきたぞ。そこを整理するには、またすこし昔へ引っ返さなければならなくなった。

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あるヒステリーの記録

これは望みが大きすぎるな。(とグラングゥジェは言つた。)二兎追ふ者は一兎をも得られぬのが世の慣ひぢゃ。このやうにキリスト教を奉ずる隣国の同胞を………………、諸王国を征服征服するといふ時節ではもはやあるまい。かくの如く古代のヘラクレス、アレクサンデル、スキピオ、ケーザルその他これと同じ族の者共を見習ふことは、聖福音書のお教へにも悖ることに相成ろうぞ。聖福音書によれば、銘々己が領地領土を護り固め、これを支配統治いたすべく、敵意満々として……………することはあるまじと示されて居るのだし、嘗てはサラセン人や野蛮人共が武勇と呼びしことも今は…………の所行、……の仕業と呼ばれるのぢや。ピクロコル王にしても、わしの家へ押入つて狼藉を働き仇敵の如くこれを奪略いたすよりも、むしろ己が家に止まつて、王者らしく治むるに如くはない筈。己が家を克く治むればその繁栄を招きしに相違なく、わが国を……いたしては自ら破滅に陥ることは免れまいぞ。



 渡辺一夫訳によるフランソワ・ラブレー『第一之書 ガルガンチュワ物語』の白水社版初版(1943年)をパラパラひもといておりますと、以上のような検閲個所に出くわしました。
 二国間の住人同士の他愛ないケンカが発端となり、ガルガンチュワの住む国を侵略すべく軍事行動をはじめたピクロコル王は、廷臣達の甘言にまんまとそそのかされ、世界制覇というあまりにも無謀な野望をうちたてます。
 引用した文章は、その計画をしったガルガンチュワの父王グラングウジェの述懐となっています。
 それぞれ、岩波文庫に入っております後年の同氏改訂訳版によりますと、最初の「……」部は「害ってまでも」、次いで「他国を侵犯」、以下「追剥強盗」「非道」「攻略」がそれぞれ補われます。
 はるか四百年以上前の荒唐無稽な空想譚に現れた、架空の国同士の衝突についてすら、検閲削除せずにはいられなかった、当時の為政者の一心境を表す資料としまして。

悪趣味のユートピア あるいは渡辺一夫のこと

 渡辺一夫のことを悪趣味な人だといえば、鼻白む人がいるかもしれません。
 かくいう私もそんな一人で、書いているのが自分自身でなければ喰ってかかっているところです。
 もっとも、渡辺一夫といいましても、文学畑にいなければ巷間の知名度は著しく低い、その中にいてさえ知る人は多くない人物ですので杞憂といえば杞憂なのかもしれません。

 渡辺一夫(1901-1975)は東京生まれ東京育ちの仏文学者です。日本で初めてフランス文学により博士号を取得した辰野隆の直接の教え子にあたり、太平洋戦争前後の東京大学にて教授を務め、その薫陶を受けた人物には加藤周一、森有正、大江健三郎などが名前を連ねます。
 語学・文学の教師として教壇に立つことを第一としながら、翻訳にも積極的で、ヴィリエ・ド・リラダン、フローベールなど、昭和前期にはまだ本邦にほとんど入ってきていなかったフランス文学の紹介を手掛け、エラスムスの『痴愚神礼讃』やトーマス・マンの「五つの証言」など時局に相応した啓蒙的な書籍の仲介役ともなりました。

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