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文章のユートピア あるいは澁澤龍彦のこと

 悦ばしき知恵gai savoir。中世プロヴァンスの吟遊詩人が、きゅうくつなスコラ哲学による語法に対抗して、俗語でもって歌謡を行ったことに端を発する用語で、一般に広く流布されるにいたったのはニーチェが自著の題名として選択したことによります。
 けれども哲学から遠く隔たったところにいる私がこの言葉を知ったのは、澁澤龍彦を経由してでした。

 氏の本格的な書評集としては唯一の刊本となった『偏愛的作家論』はまだ二十歳になるかならないかの頃の私の座右の書で、それこそ偏愛して一編一編にくり返し目を通しておりました。
 今でも覚束ない私の知識ですから、その頃ときたら箸にも棒にもかかったものではなく、展開された批評的な言説の理解など到底おぼつかず、ただ散りばめられた先哲の名を珠玉のきらめきとして目を細めて眺めるのが精一杯でした。
 てなわけですから、正直なところ、再読を重ねたはずの本書の記憶はほとんどまるっきり残っておらず、ただわずかに脳みその片すみにかろうじて引っかかっているのが、この「悦ばしき知恵」でした。
 悦ばしき知恵が登場するのは二ヶ所、南方熊楠と林達夫への評においてです。
 歩く百科事典とすら呼ばれた熊楠と、実際に百科事典の編集にたずさわった林達夫。タイプは違えど、明治以降の生んだ日本の大知識人の典型というべき二人を同じ言葉で形容しているのがとても興味深く感じられました。
 おそらく、この二人を通して、私は「悦ばしき知恵」という単語の向こうに澁澤龍彦の名をうっすら遠望していたように思えます。

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