スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

師を間近に感じて

 生物が生物である以上否応なく訪れる最後の瞬間、その瞬間を境として、人は主体的な存在から受動的な全き客体へと変化します。
 道徳的心理的な定義はひとまず措くとしまして、死とはこの瞬間に体に流れ込み、またたく間に全身を浸してしまうものだといえるでしょう。
 この死は、私達の体のすぐ外部、皮膚の外を隙間なく埋め尽くしています。逆の言い方をするならば、生物は死の中を遊泳して日々の生活を営んでいるのです。
 一般的な活動の上では、死が皮膚をすり抜けて侵入してくることはありません。けれども、ある時からコーティングが薄まり、いつ死を迎え入れてもおかしくないという状況が訪れます。
 もはや死を待つばかりの状態、西成彦『ターミナルライフ』は小説作品に現れたそうした終末期の時間を主体に扱った文学論集となっています。
 著者はフランス文学から東欧、さらにユダヤ語の派生言語のひとつであるイディッシュ文学に進まれた文学者です。
 そして、私の学生時代に直接御指導いただいた教官であり、なにより文学に接することの姿勢について多くを学ばせてもらった恩師でもあります。ですので、こういう文章を書く際には、客観的に著者と書きたい心と、なんだかくすぐったく先生と書いてしまいたい二つの衝動に襲われます。以下、この二つが入り混じっているのは、それが私の立ち位置だと思っていただければ幸いです。

続きを読む »

スポンサーサイト

麒麟天に還る

 乾隆帝といえば、清の最盛期に冠を拝した皇帝です。その功罪は相半ばとしましても、国内の人口が爆発的に増加し、『紅楼夢』『聊齋志異』が刊行され文化の隆盛が頂き近くの高みにまで達したというのは一つの事実であるでしょう。
 この乾隆帝が代を譲られ、皇帝の座についた初年に麒麟が現れたのだといいます。
 麒麟といえば、瑞獣の代表格、メーテルリンクの幸せの青い鳥は個人に幸福を運ぶ鳥ですが、規模効能を遥かに凌駕する幻の獣です。中国では、歴史に大きな事績を残す時代には、必ずといっていいほどその姿が確認され、例えば孔子の母親はこの麒麟の足跡に触れた故に我が子を身ごもったなどという話も伝えられております。
 この乾隆帝時代の麒麟来臨を伝えるのは大田南畝、別号蜀山人が現代まで知られる、狂詩狂歌随筆で聞こえた、やはり一代の麒麟児です。
 そうして、この麒麟児という単語を眺める時、私は一人の立川談志という噺家を連想せずにはいられません。
 立川談志。天衣無縫の芸人。破天荒な乱暴者。傲岸不遜な糞ジジイ。その姿、名前は、人の目に様々な姿となって現れていたでしょうし、またその一面一面はそれが全てではもちろんないでしょうが、一片の真実を写し出していたのも否定はできないことでしょう。
 たしかに、カメラやマイクを向けられた際の過剰なパフォーマンスは、時にファンですら目をそむけ耳をふさぎたくなる類のものではありました。
 けれども、それでも間を空けると再び話す言葉に耳を傾けたくなってしまうのは、多くの姿を見せながらも、何よりも大きく落語家立川談志が目に入ってしかたなかったからでしょう。
 立川談志という人は、まずはどうしようもないほどに落語家であった人間だったのです。
 そのどうしようもなさに、人一倍心を焦がせ、身を捩らせていたのは、談志本人であったかもしれません。どうしようもなく時にテレビタレントのような振る舞いをして、どうしようもなく政界に出馬したこともありました。けれども、その度ごとに、私達に写るのは、どうしようもないほどの一個の落語家でした。
 私は談志が出囃子を背に受けて高座に上がる姿が好きでした。深々と頭を垂れて、ふと上げた面にはにかみがある。笑みはなくても、どこかはにかんだ余韻が残る、その残響に他のなにものでもない落語家の生のままが見えて、身もだえしたくなるほどの嬉しさがこみあがってくるのです。
 麒麟の出現した場に、一堂に会した人々の味わった喜悦もかくやとばかりの高ぶりです。
 そうして思えば、自分の直観もまんざら見当違いというわけでもなさそうだと、ついついほくそえんでしまいます。
 麒麟は瑞獣です。自身の類稀なる貴重さもさることながら、この獣の真価は幸福と平安の兆しである点に発揮されるといえます。
 談志は多くの弟子を残し、さらにその挑発的かつ刺激的な姿勢で、落語界自体に大きな足跡を刻みました。これが以後の噺家の巨大な吉兆の萌芽とならないわけがあるでしょうか。
 そんな落語家が高座を下りた際に哀悼の辞や涙は似合いません。ただ満場割れんばかりの拍手で送り出すのが、客席にいるものの、せめてもの務めでしょう。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。