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夏コミのこと

 コミケ原稿を入稿してまいりました。
 タイトルは「雷音の子」です。

 時代は大正十年、舞台は帝都東京。
 近代都市の設立を前夜に控えた町に、突如立ち起こった化け猫の噂。
 その端を発しているのがかつての大店で、現在は百貨店を経営するとある旧家だと聞き及び、俄然ちょっかいをかける気になったのが世の拗ね者三人。
 貧乏長屋でその日その日を気ままに過ごす先生と、熊さん八っつぁんならぬ、三流新聞記者の馬さんとモグリの書生の松さんの息が合っているのだか合っていないのだかわからぬ凸凹トリオ。
 果たして彼らの行く手にあるのは解決か、まぜっかえしか。

 要約しますと、実に薄い内容ですが、ページ数は76Pで頒価は400円を予定しております。
 よろしければお立ち寄りのほどを。
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がんばり入道ののぞき窓の向き

 ピエール・ロチ(ロティ)はフランスの海軍士官であり作家という人物です。一八五〇年生まれで没年が一九二三年といいますから、日本史になおせば江戸末期から関東大震災の年までということになります。
 生前からもかなりの有名人であったらしく、画家のアンリ・ルソーも彼の肖像を手掛けています。
 晩年の退役海軍大尉という肩書、逝去後は国葬に附されたことからもわかる通りの、生粋の軍人であり、その著作も大多数が駐留の際の記録をもとにした半ドキュメンタリー風の趣を持っています。
 セネガル、インド、北京、アフリカ……。その赴任の経路をたどれば、そのまま第一次世界大戦までのヨーロッパ帝国主義諸国の版図拡大の意図が伝わってくるようです。
 そしてロチは一八八五年と一九〇〇年に二度の日本訪問を行っています。特に前者の一八八五年の訪日は、滞在こそ五カ月と短いものの、練習艦長という地位をもって、文化的というよりはむしろ政治的、それもかなり強硬的な意思を持っておりました。
 この第一回目の訪日の記録を綴った一連の文書をまとめたものが、『秋の日本』として上梓されています。
 元号になおせば明治十八年、大日本帝国憲法の発布や帝国議会の創設すらまだ行われず、近代国家の仲間入りを果たすべく悪戦苦闘している日本人をしり目に、ロチの筆は主に日本の場景や文化風物を描写していきます。
 京都や日光、江戸の名残を多く見せる東京の姿を書くなかで、しかし、私の目に一番に留ったのは単行本で見開き二ページ程度、収録された諸作の中でも特に短い「田舎の噺三つ」と題された掌編の、さらに一エピソードでした。本当に数行のものですので、以下に全文を引用します。

 これを、最初わたしは、日本に関する非常に注目すべき、しかもあまり知られていないある書物で読んだのである。その後、実際にそれが田舎の人達の信念であることを確め得た。
 『新年の夜、人里離れた場所で、Gambari-nindo oto-to-ghiçou ! と唱えさえすれば、すぐさま暗闇の中に毛むくじゃらな手のニュッと現れるのが見える』(村上菊一郎訳)

 やはり気になりますのは、アルファベット表記されている部分で、そのままローマ字読みをしますと「ガンバリ・ニンド オト・ト・ギス」となりますが、フランス語ではハ行の音が存在しないことを考慮に入れれば、すぐに後半部分は「ホトトギス」と想像がつきますし、となると怪異好きの人ならばすぐにこれが「がんばり入道ほととぎす」を訳したものとピンとくると思います。
 このフレーズは妖怪ファンには有名なもので、そのものズバリ加牟波理入道(がんばりにゅうどう)という妖怪にまつわるものです。
 京極夏彦の小説連作に印象的な妖怪画が挿入され、一躍知名度をあげた鳥山石燕の画本『今昔画図続百鬼』でも加牟波理入道は載せられていますが、そこには画賛の形で、

大晦日の夜厠にゆきてがんばり入道郭公(ほととぎす)と唱ふれば妖怪を見ざるよし世俗のしる所也

 と記されております。
 おそらく、ロチは当時フランスで刊行されていた日本紹介の書籍を目にして記憶していたのでしょう。
 おもしろいのは、両者で「がんばり入道ほととぎす」というフレーズを共通に持ちながら、その効能が全く反対になっているところです。
 石燕の書くところでは、このフレーズは魔除けの呪文として紹介されていますが、ロチの読んだ本では召喚呪文になっております。
 また、石燕の方は舞台が厠であるのに対して、ロチが人里離れた場所を指定しているのも興味深いところです。
 概ねロチの方は日本の怪談にある密閉性が失せ、サバトに通じる悪魔召喚の雰囲気が濃くなっているように思えます。大晦日の夜、人目を避けて秘密の呪文で妖怪を呼びだすというのは、国が異なりますがジョン・ディー博士の召喚儀式の図を思い起こさせ、ニュッと現れる毛むくじゃらの手はルドンの巨人を想像させずにはおきません。
 紙幅もわずかの文章ではありますが、西洋と東洋の妖怪観の違いが見えてくる非常に面白いエピソードだと思います。

 もっとも、フランスという国は、なにしろシェイクスピアの『オセロウ』にて、重要な小道具であるハンカチを、「鼻をかむものと混同させて(この二つはフランス語では同じ単語なのです)下品」と長年退けた経歴もありますので、もしかするとトイレをそれこそ御不浄として憚っただけなのかもしれませんが……

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