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十六年目の備忘録

 中央集権体制が長いためでしょうか、日本人はいまいちローカルな話題を一般化する作業が得意ではないようです。
 まず一般論ありきで、それを個々の事態に当てはめようとする。その一般論は大概儒教的な道徳観念と戦前の軍隊方式の全体主義がないまぜになったようなものです。
 基本的に上意下達の主義が根本原理となって動いております。

 ソウルフラワーユニオンは関西を基点にして活動していた二つのバンド、ニューエストモデルとメスカリンドライブが合流してできたバンドで、結成は一九九三年ですので、もう十七年のキャリアを持つベテランです。(ニューエスト、メスカリンもともに十年近い活動歴があります)
 そのソウルフラワーユニオンが三線、チャンゴ、アコーディオンなどのアコースティック楽器だけを手にして、出前出張バンドとして活動を行った際の名前がソウルフラワーモノノケサミットといいます。
 初のライブは一九九五年二月十日。場所は兵庫県神戸市灘区青陽東養護学校。阪神淡路大震災から三週間足らずのことです。以降ソウルフラワーモノノケサミットは神戸を中心として連日様々な場所でボランティアのチャリティライブを行っていきます。レパートリーは普段の自分達の曲ではなく、老人にも馴染んでもらえるようにと童謡や「美しき天然」「東京節」などといった戦前戦後の流行り歌が中心としていました。
 そんな曲の中に「復興節」という一曲がありました。



 原曲は一九二三年元号になおせば大正十二年、つまり関東大震災の直後に作られた、タイトルの示す通りの復興を応援するための歌です。
 ソウルフラワーモノノケサミットのリーダーともいえる中川敬は、この曲の歌詞を阪神の震災に合った内容とするために少々書き換えて演奏しておりました。
 その後、この復興節は、同年震災の様子を描いた「満月の夕」がシングル盤としてリリースされる際に、カップリングとして録音されました。



 ところが、リリース直前になって問題が発生します。
 復興節で中川の書き換えた部分「東京の永田にゃ金がある/神戸の長田にゃ唄がある/アラマ オヤマ ホンマのまつりごと見せたれや/コリアンもヤマトンチュも アリラン峠を越えてゆく/ナガタ ちんどん エーゾエーゾ」などの部分がふさわしくないとレコード会社から問題視され、曲自体が差し替えられる事態に陥ったのです。
 実際に被災地で演奏され、歌われている曲が、ふさわしくないと判断されたのです。

 今年も各メディアで16年前のあの日を悼む報道がたくさん行われました。
 十年一昔、星霜としても一つ以上を数える時間が経過して、その論調も変化しつつあります。
 いわく「あの震災から学んだ教訓を風化させない」。
 スローガンとしては大変に立派なものです。
 しかし、その教訓とはいったいどのようなものなのでしょう。
 復興節を排除したことへの反省から学ぶ教訓。そうしたものが、その中に含まれていることを強く望まないではいられません。
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