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夏の朝の蝉の声

 せっかちというと言葉がまるいので、なんとなくほのぼの4コマ漫画の登場人物のようで、もちろん長所ではありませんが短所というほど致命的な欠点ではないように思えます。
 これが早合点、早飲み込みとなりますと、完全に短所でおおっぴらに公言することは憚られる欠点となります。
 私の場合は、この早合点というやつで、なにをするにも半聞きで独り合点に解釈して単騎先行のあげく失敗するのですから、始末に負えません。
 本を読むにしても、この態度は変わらず、読んでいる端からこれまで進んだページ数と残りが気になってしかたなく、「あと何ページ」みたいなことを常に反すうしています。
 こんな読み方で、内容が頭に入るわけもなく、読んだという達成感がほしいだけなので、なんとも本に対して申し訳ないことをくりかえしていることになります。
 おかげで、同じ本を再読するたびに、多くの読み落とし読み違えに直面して愕然とします。
 もう何年目になりますか、今年も山田風太郎の『戦中派不戦日記』を読み返しています。
 一般に『甲賀忍法帖』や『魔界転生』などの忍法帖シリーズで知られる作家である山田風太郎が、まだ文筆業に入る以前、23歳の医学生として日々を送っていた昭和20年1月1日から12月31日までの1年間につけた日記を活字化した作品で、私が所持しているのは講談社文庫の一冊として収められたもので、1995年の第8刷と奥付にはあります。
 これを毎年8月のこの時期に再読することを一つの年中行事と決めたのは、まだ学生の頃でした。
 戦争当時の山田風太郎より年下だった数年は、ただ昭和20年前後の学生の博識に舌を巻き、自分と比較しては、ただでさえ周囲の優秀な学生諸氏とは明らかな隔絶のあるところで、まったく地の底にでも落とされたようなコンプレックスを抱くばかりでした。
 やがて同年にいたり、1年2年と齢を重ねていきますと、文中の青年特有の若さにまかせた熱情がやはり少しは感じ取れるようになってきまして、とうとう10歳も上になってみると、今度は文中に散見する狂気に、悲哀を感じないわけにはいかなくなってきました。
 人が人を殺すことを当然と考え、それが生きるための目的となる。
 これは狂気です。
 しかし、わずか65年前には日本中の、そして世界中の人々がこの狂気を胸にしていたのです。
 同じく山田風太郎の太平洋戦争最初の1日と最後の15日の、文書として残された記録をコラージュ的に切り張りした作品である『同日同刻』の昭和20年8月6日よりはじまる原子爆弾に関する記述には、この狂気がいたるところに満ち満ちています。
 戦争を終えて65年。つい先日発表された日本人の平均寿命では、男性でまだ10年以上、女性では20年以上の日々が残されているに過ぎない期間です。一人の人間が生まれてから死ぬまでの時間ほどもまだ経過してはいない程度の過去の話なのです。
 私達はこの狂気を忘れてしまわなければなりません。
 ただし、忘れるというのは、語られたことから目を閉じ、耳をふさいで拒絶するのではありません。それは忘れたのではなく、最初から知らなかっただけです。
 忘れるというのは、一旦骨髄まで染み渡らせるまで記憶した後に、それを思い出さなくてもよくすることです。
『東京焼盡』という戦中日記をやはり公刊した内田百間は、かつて語学について、「まずは全てを覚えるところからはじまる。どこがどことつながるか、などと詮議立てるのはまた別の話で、まずは全てを丸暗記するのがなにより先決だ。そして、それらを忘れた後に、次の段階が湧き上がってくるのだ。覚えもしないうちに、何事かをいうのは生意気だ」というような意見を開陳しておりました。
 同じく、先日より合間を見つけて、こうの史代の『この世界の片隅に』と『夕凪の街 桜の国』も読み進めておりました。
 あいかわらずの早合点と独りよがりな読書のおかげで、この2種4巻の漫画も以前読んだ時には気がつかなかった個所が見つかるわ見つかるわ。まったく、我ながら、いったいなにを読んでいたのかと、呆れ恥ずかしくなるばかりです。
 こんな私ですから、まだまだ太平洋戦争の記憶を忘れることができないのでしょう。
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