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ビル・モールディンの店のルートビア樽はどうしてからっぽにならないか

 非常呼集のサイレンが鳴り渡る。
 つい先ほどまで基地内を包んでいたハイスクールのようなざわめきは、たちまちにして緊張感を孕んだ喧噪にとってかわられる。
 まだ整備兵が慌ただしく機体や弾薬の準備を行っている最中にもかかわらず、いの一番に飛行服に着替えてハンガーに駆けつけてきたのは、だれあろう第一次世界大戦の撃墜王だ。
 軽やかな足取りに反して、さすがにその面持ちには緊張がみなぎっている。
 サイレンの意味は道々聞いていた。幾重にも張り巡らされた防衛線を突破して、前線から遥かに離れたこの地にまで敵機の侵入を許したというのだ。友軍の不甲斐なさを呪うよりも前に、大胆不敵な相手の行動から推測される一つの予想が脳裏をよぎった。
 レッドバロン。天駆ける敵のうちでも特に機体の操縦技術に長け、見る者を釘づけにしてやまない雄姿は、相手国は無論のこと、本国ですら誉れ高いほどだ。第一次世界大戦の撃墜王の最も良きライバルである。
 撃墜王の顔の緊張の色が一層濃くなる。だが、気のせいだろうか、その面魂に不敵なものがまじりはじめた。
 なじみの整備兵がコンディションを万全に備えておいてくれた愛機のかたわらにまでくると、間髪おかずひらりとまたがり、そのままの流れでイグニッションキーをひねる。たちまち、長年連れ添った相棒は息を吹き返し、エンジン音を機嫌よく響かせる。
 定期的な律動音に合わせて、歓声がわきおこる。その頃にはハンガーの隅々まで第一次世界大戦の撃墜王の出撃が知れていたのだ。機体が滑るように前進をはじめると、周囲をとりまく声は大きなものになる。ソッピーズキャメルが陽の光に照らされ、滑走路にまで至ると、彼はできるかぎり芝居がかったやり方で背後にいる人々へガッツポーズをやってみせる。それが不安に満ちた人々――もちろん自分も含めてだ――への最大の慰撫になることを知っているのだ。
 加速にともない、すさまじいGが襲いかかる。まるで全身で地上に後ろ髪を引かれるようだ。噛みしめる奥歯が鈍い悲鳴をあげる。そうして不意に地上への惜別が薄れたかと思うと、既に機体は大空を舞っている。
 ソッピーズキャメルは基地上を旋回することもなく、一直線に飛び立つ。
 雑音ばかりの無線が管制塔より届けられるが、第一次世界大戦の撃墜王は必ずしもそれに頼ってはいない。通常の戦闘とは違う。相手はなにしろあのレッドバロンなのだ。レーダーや目視による索敵情報ではなく、自らの勘だけを総動員して機体を駆る。
 周辺上空には厚い雲がたてこめはじめていた。季節はずれの通り雨をもたらしそうな鈍色の塊のはざまに、彼はなにかを見つけた。なにかは自分でもわからない。判断よりも早く、操縦桿を握る手は動いていた。
 打ちつける雨滴を振り切り、なかば機体を垂直にさせてプロペラで雲を切り裂きつつ上昇し、ついに暗い層を抜けると、再び太陽の明かりと、そして全身を真っ赤に染め上げた一機の戦闘機と対面した。
 レッドバロンだ!
 侵入してきたのは計三機。後方にひかえる二機は突然現れたソッピーズキャメルに明らかに狼狽し、それまで組んでいた完全な編隊をみるみるうちに乱しはじめた。
 もっとも、さすがのレッドバロンはそれくらい先刻ご承知とばかりに、いささかの躊躇もなく搭載する機銃を掃射する。
 第一次世界大戦の撃墜王もひるむことはない。飛行の勢いを生かして、鉛弾の歓迎を回避すると、すかさず体勢を整え、おかえしとばかりに引き金に指をかける。
 けれども、そこで目を疑う事態が起こった。機銃から弾が出ないのだ。
 それもそのはずだろう。見れば弾帯の中には薬莢のつけられた弾丸のかわりにピーナッツが詰められていたのだ。
「わあ、やれやれ……」
 第一次世界大戦の撃墜王は天を仰ぎ思わずつぶやかずにはいられなかった。その時早くかの時遅く、レッドバロンの第二撃が見舞われた。
 哀れソッピーズキャメルは蜂の巣となり、機体は弾痕からもうもうとした黒煙を噴き上げながらきりもみ状に回転して、故郷の大空を離れ黄泉への玄関口となる地表へと吸い込まれるように墜落してゆく。
 けれども心配には及ばない、瞬く間に舞台は一転し、果てなく続くと思われた碧空は隣家との境になっている垣根も間近い芝生敷きの庭に、ソッピーズキャメルは赤い屋根が目にも鮮やかな犬小屋にそれぞれ姿を変え、そして、その上で苦りきっている第一次世界大戦の撃墜王は、だれあろう、世界的に有名なビーグル犬にちがいなかった。
 彼は犬小屋から離れ、落胆した顔で肩を落とすと、ゆっくりと息を吐いた。
「# タメイキ #」


 一般的に「スヌーピー」と呼ばれていますが、チャールズ・M・シュルツによる新聞コミックのシリーズの正式名称は「ピーナッツ」といいます。スヌーピーはこのピーナッツの一登場人物、いや登場犬物です。(余談ですが、ピーナッツの主人公はスヌーピーの飼い主のチャーリー・ブラウンです)
 このスヌーピーは犬ながら人間顔負けの哲学の持ち主で、天性の譬喩家で皮肉屋です。その一端が最も鮮やかに表れるのは、様々な衣装に扮装している際でしょう。
 世界的に有名な外科医、世界的に有名な弁護士、世界的に有名なプロテニスプレイヤー、サングラスを着用して常にクールに装うその名もずばりのジョー・クールなどなど、その姿はあまたありますが、中でも最も有名なのは第一次世界大戦の撃墜王でしょう。
 飛行帽をかぶり目にはゴーグル、マフラーを首に巻いたスタイルで愛機ソッピーズキャメルに見立てた犬小屋にまたがって戦場の空を駆け、宿命のライバルレッドバロンと熱い戦いを繰り広げる。ごっこ遊びの見立ての世界ですが、時折読者にもスヌーピーが想像で目にしている世界が開けることがあります。
 機体の隣には雲が横切り、遠くでは火薬の炸裂光がきらめいている。マフラーをたなびかせ、第一次世界大戦の撃墜王はそんな光景の最中を颯爽と飛び抜ける。
 寡聞にして知らなかったのですが、こうしたスヌーピーの空戦シーンをゲームにしたものがいくつか出ているそうで、特に今月Xboxで配信のはじまった「Snoopy Flying Ace」は少々話題になっておりました。
 内容はいわゆるフライトシミュレーターの簡易版で仮想世界において、スヌーピーをはじめとしたピーナッツ世界の子供達が戦闘機に乗りこみ空戦を繰り広げるというものでした。
 キャラクターを二次使用した権利物のゲームで、私も小学校時分何度となくプレイしたファミコンゲームで、そうしたものが原作をあまり踏襲しないものだというのはいやというほど知ってはおります。いるのですが、やはりゲーム画面を一瞥した印象は違和感の一言に尽きます。
 アメリカの人気キャラクターの多くは、第二次世界大戦当時戦意高揚に利用された過去を持っています。


[ドナルドダックの出る「Der Fuehrer's Face」]


[ポパイの出る「You're A Sap, Mr. Jap!」]

 しかし、スヌーピーはその範疇の外にある。当たり前です。ピーナッツの連載がはじまったのは、1950年で、太平洋戦争終結の後にあたりますから。(その前身である「リル・フォークス」の連載がはじまったのすら1947年です)
 歴史的にみればそれも一つの偶然なのでしょう。
 けれども、その偶然を単なる偶然として片付けてほしくはない、とついつい思ってしまうのです。
 スヌーピーは第一次世界大戦の撃墜王に扮して、犬小屋のソッピーズキャメルの操縦桿を握り、限りある庭で無限の大空を舞います。宿敵レッドバロンと対峙して機関銃の引き金をしぼることもあります。けれども、その弾ははずれておおむね被害を受けるのは地上のトラクターやらザンボーニということになります。この撃墜王氏はマンガ内で一度も敵を落としたことがないのです。ではなにをもって撃墜王の名を馳せるのか。それは自分です。スヌーピーの犬小屋はすぐに銃弾の的になり、弾痕が一列に横に走るのを常としています。
 いないいないばあをしている隙に、レッドバロンの誕生日にサプライズとしてバースデイケーキを用意していたおかえしに、攻撃を受けて撃墜されるスヌーピーの姿は間が抜けていて、勇ましさや雄々しさからはほど遠いといえるでしょう。それでも、だからこそ、第一次世界大戦の撃墜王は、言葉で語るよりも雄弁に皮肉家としての面目を躍如とするのです。
 また、チャーリー・ブラウンが長男として暮らすブラウン家の隣人は、一匹の猫を飼っているのですが、その名前を「第二次世界大戦」といいます。
 スヌーピーはこの猫にちょいちょいちょっかいをかけては、例外なく痛い目にあっています。
 第二次世界大戦の爪は鋭く研がれており、その破壊力たるや犬小屋の半分もそぎ落してしまうほどです。
 第一次世界大戦の撃墜王をしても、ほんの一振りで一蹴されてしまう。現代の戦争の目を見張るいとまもないほどの凄惨な破壊を、これほど端的に表している図もないように思えます。
 そんな爪の痛みを身にしみて知っているスヌーピーが、現代的な兵器を駆使して敵を駆逐して歓喜の雄叫びをあげるというのは、これは違和感以外のなにものを呼びはしません。
 戦争の愚かしさ、というのはもはや陳腐に堕した言葉であるといえるでしょう。しかし、その陳腐さをおそれずに、作品内で表現し続けてくれたピーナッツの物語は、それ故にこそ偉大なる批判性を持つのだと私は信じます。
 ならば、作者であるチャールズ・M・シュルツ亡き後の現在、残された人々がその偉大さを称揚するのは、単純にキャラクターを用いて型にはまったゲームを生産することなのでしょうか。
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怪談からはじまって怪談におわるいくつかの話

『詭弁学派、四ツ谷先輩の怪談』がおもしろい。
 ここのところでは、単行本の発売を心待ちにしていたひさしぶりのマンガです。
 物語は典型的よりは少々勉学の面では追いかける側に属する中学生少女中島真が校内で忽然と姿をくらました親友弥生ヒナノを探すべく、四ツ谷先輩を訪ねるところからはじまります。
 四ツ谷先輩は真と同じクラスに籍を置いてこそいますが、授業にも出ず日夜ある目的を遂行するために行動し、そのために卒業する機会を逃したという怪人物です。
 その目的は「最恐の怪談を創ること」。
 自らの怪談で校内を恐怖の悲鳴の渦にするのが理想なのだといいます。
 話は多くの場合、校内を中心とした周辺地域で起こる怪事件は、四ツ谷先輩の語る怪談によって解決に導かれていくというもので、倒叙形式のミステリ(コロンボや古畑任三郎が一般的でしょうか)に近い構成をもっています。
 まだ連載でも十回弱を数えるばかりですが、主人公の真や四ツ谷先輩のキャラクター造形が巧みな点や、事件の不気味な演出や、それを解決に導く筋道の鮮やかさはもとより、最も私が興味をひかれるのは根幹的な主題の一つに置かれていると思しい「怪談」の取り扱われ方です。
 作品中怪談を定義する発言がいくつか散見します。
 その一つは先にも述べました「怪談は創られるものである」ということ。もう一つが要素として「演出・語り・聞き手」が必須であるということ。
 こうして書かれて、私も初めて怪談というものの興味がわいてきました。そもそも怪談とはどういうものなのでしょうか。
 一般的に怪談といわれて思い出すものを挙げてみますと、なにをおきましてもラフカディオ・ハーンこと小泉八雲の『怪談』、『四ツ谷先輩の怪談』の名前の元にもなっている鶴屋南北の「東海道四谷怪談」、そして三遊亭圓朝による「怪談牡丹燈籠」がぱっと思い出されるでしょうか。
 こう列挙してみますと、いくつかの共通点に気づかされます。まずはどの怪談をとってみても作者がはっきりと特定されるという点、次にどれも元にあった話が翻案されているという点です。
 八雲は『怪談』冒頭の序文にて、

 下に掲げる怪談は、おおむね、「夜窓鬼談」、「仏教百科全書」、「古今著聞集」、「玉すだれ」、「百物語」などという、日本の古典のなかから採ったものである。このなかには、中国に出典をもっているものも幾編かあるようである。

(平井呈一訳、岩波文庫、p. 7)

 と書いておりますし、「東海道四谷怪談」は東京四谷に実在する稲荷社についての由縁を虚実織り交ぜて歌舞伎の台本として創作したもので、「怪談牡丹燈籠」は中国の瞿宗吉による『剪灯新話』中の「牡丹燈記」をもとに落語の演目と作り変えたものです。(「牡丹燈記」は岡本綺堂による翻訳が『世界怪談名作集』に収められています)
 つまり原話があって、それを物語化したものが怪談となるわけです。
 例えば江戸期の随筆集で怪談を銘打っているものは極僅かですし、そうした話の中から怪異談ばかりを集めた柴田宵曲の作品もどれも怪談の名を冠してはいません。
 また大正昭和期に林不忘、谷譲次に加え牧逸馬の三つのペンネームを用いて活躍した作家長谷川海太郎の牧名義の代表作である『世界怪奇実話』は、実地で世界中を渡り歩いた著者が方々で集めた怪奇談をまとめた書物ですが、これも説明するのに怪談の文字を用いません。
 その序文では次のような意図が説かれています。

一、世界怪奇実話――怪奇は、謂わば荒唐だ。同時に実話は、文字通り厳正に事実だ。荒唐さと事実と、その表面背馳する二つの概念が混然一致するところに「世界怪奇全集」のイットさが潜む。
一、僕は過般欧米を漫遊中、この実話に「事実は小説よりも奇」なる興味と、血の通っている把握力を感じて、凡ゆる種類の材料を蒐めて来た。その中から厳選して、中央公論に連載中のものを主に、以下続々この「世界怪奇実話全集」の刊行を続けて行きたい。

(桃源社、冒頭)

 はっきりとしてくることは、怪談というのは事実を離れた創作であり、それがわからないといけないということです。
 だれに、わからないといけないのか。
 それは読者であり、観者であり、聴者であります。
 自分にかかわりのないところの話であるとわかっているからこそ、受容者は恐がることに没頭できる。けれども、関係性の薄いところは、また物語のリアリティを削ぐことにも結び付く。だからこそ、怪談には常に過剰ともいえる演出がつきものです。
 南北の「東海道四谷怪談」では血が飛び散り、幽霊が浮かび上がるしかけがそこかしこにこめられていたことは、様々な同時代筆記で知られるところです。落語の怪談噺の際には、顔を下から照らし出したり、若手の落語家に幽霊役を頼んで舞台袖に登場させるような演出があったことは古今亭志ん朝が枕で語ってもいます。小説においては、怪談の名手といえば岡本綺堂や翻訳家平井呈一など和漢洋の書籍知識に富み、名文家の誉れ高き人々に集中していることは論を俟たない事実でしょう。
 つまり、怪談とはフィクションのお膳立てを整えた上で、それに接している間だけは恐怖を思う存分に堪能できるようにこしらえられた物語であるということができるでしょう。
 これにはもちろん、享受者の側でも恐がろうという意気込みをもって、物語に接する準備が必要です。
 そこでも怪談という題名が生きてきます。これは怪異談を集めたものだから、恐くてあたりまえ。ですので、それを選ぶということは、恐がるための心づもりができるというわけです。
 こうした作家と読者の幸福な関係が怪談という名前のもとに構築されていたのです。
『四ツ谷先輩の怪談』はそうしたかかわりを回復させてくれる一編のような気がします。

数の魅力

 3と11と52。
 つい目で追ってしまう数字です。
 何のかと問われれば、例えば書籍のカバー折り返しの著者履歴、例えば歴史年表中の人物名の脇に書かれたカッコの中身……
 要するに生年ですね。
 慶応3年と大正11年、そして昭和52年がそれにあたります。

 慶応3年は西暦になおせば1867年、翌年は1868年明治元年にあたり、つまりこの年に生まれた人々は明治と同い年ということになります。
 だからどうしたといわれるとそれまでですが、例えば慶応3年生まれの有名人を一人知っておくだけで、明治という時代の社会情勢とそこに生きる人々の実情がリンクして考えやすくなるのですね。
 そうそう都合のよい人間がいるものか、なんていわれてしまうかもしれません。
 ところがいるんですよ。
 筆頭にあがるのが明治を代表する文豪夏目漱石。
 その名が一躍上がった『吾輩は猫である』の連載開始は38歳のことで、日露戦争に国中が愁眉をひそめていた頃です。近代的な戦争の一端を味わい西洋列強と覇を争った初めての時代的経験を背景として、英国留学の経験のある漱石の手によって新感覚のユーモア小説が書かれ、受け入れられていったのかもしれない、なんてことが根拠もなく想像されます。
 漱石がいるということは当然正岡子規も同年生まれ、そして後の第一高等学校となる大学予備門で同窓であった紀州の生んだ奇人南方熊楠も明治と同年齢になります。
 熊楠の名前を挙げるならば、「明治三奇人」として名を並べる反骨のジャーナリスト宮武外骨も忘れられませんが、この人も同い年の慶応3年生まれです。(明治三奇人のもう一人小川定明に関しては前にコチラで短いながら紹介しました)
 この宮武外骨という人は、数字に憑かれた人で、編集した雑誌や新聞にやたらと列挙式の戯文を掲載します。そのあたりの筆法は年号が昭和に改まり、さらに太平洋戦争を終えてからも変わらなかったようで昭和25年御年83歳の頃にものした「宮武外骨自叙伝」(「みやたけがいこつみのうえばなし」とルビ打たれています)には、自分と同い年、つまり慶応3年生まれの人々の名前がズラリと並べられております。
 そこには尾崎紅葉、斎藤緑雨、幸田露伴なんて名前も散見します。文学にかかわりある人以外では、トヨタグループの創業者豊田佐吉、さらに鈴木貫太郎に変わり種では「日本のラスプーチン」などとも呼ばれた飯野吉三郎も全員同い年となっています。
 これだけの名前が同年生まれに並ぶのも珍しいことで、宮武外骨も「予の知れる限りの、その前後、同年生れでかくも多数の著名人が出来たことがない」と所感を述べたうえで、「このような現象は、そもそも星運の恵みによるのであるか、あるいはまた、各人がつとめはげみたる結果、天はみずから助くるものを助くの理にかなったものであるか、予はみずから二者相まちたるところと観じ、少しく愉快に感じているのである」と少しどころかかなり鼻高々です。
 しかし、星の運行や気の流れは、まあ脇に置くとしましても、このように明治と歩を同じくした人々の中に、後世にまで強い影響力を持つ人々が集ったというのは、とても興味深くはあります。

 次いで大正11年は1923年で、大正12年9月1日の関東大震災の前年にあたります。
 この年はまずは山田風太郎の生まれた年であり、敬愛する内田百間の処女単行本『冥途』の刊行された年にあたります。
 同年には水木しげる、瀬戸内寂聴、国は違いますがピーナッツの作者であるチャールズ・M・シュルツ、そしてなにより我が祖父が生を受けています。
 この年に対する関心はですので、慶応3年とは異なり、個人的な祖父への敬慕がきっかけとなっており、後付けのように山田風太郎や水木しげるへの興味につながっていきました。
 終生口数の少なかった祖父でしたが、時折ぽつりぽつりと聞かされた戦争の思い出は、常に淡々としていてただ事実だけが語られました。決まって感想は省かれ、そこでなにを感じ、なにを思ったのか、それはついに聞くことがかないませんでした。
 それを今になって回収するために、同い年の大正11年生まれの作家を追いかけているのかもしれません。
 考えてみますと、戦中派を自称する山田風太郎と水木しげるはもとより、瀬戸内寂聴もシュルツも戦争の話題を表現の一端に深く据えています。

 最後に昭和52年については、まあ、これはせめて何十年後かに、その末席に加われればいいなあと妄想するため、ということで……

本好きの本好きに与うる書

 本なんていうのは読めればいい。初版や限定本には興味がない。
 そんなことをいう人がいます。
 はい、私です。
 ある程度までは本音だと思っていたのですが、しかしよくよく考えなおしてみますと、どうもあやしいところがあるんですね。
「旧字旧かなはそのままで」
「翻訳は絶対この人じゃなきゃダメだ」
「映画原作になったからってスチール写真を表紙にしたのはいやだな」
 えとせとらえとせとら。
 結構注文をつけて選んでいるもんです。
 さらに装丁やイラストにもこだわりがあり、山田風太郎の忍法帖には佐伯俊男、河出文庫は昔のデザインのやつじゃなきゃヤダなどなど、どの口で「読めればいい」なんていうのかというありさまです。
 で、そんな私のわがままの中で、星新一といえばやはりこの人な和田誠さんの『装丁物語』という本をここのところ読んでおりました。
 本の各部位の解説からはじまり、自らの装丁への思いへ移っていくオーソドックスといえばオーソドックスな作りになっているのですが、その端々に本というものへの愛情がひしひしと伝わってきまして読んでおりまして、とても心地よいのです。
 例えば短編集などの題につけられる「○○物語 他三篇」と書く時の「篇」という字にこだわるくだりがありまして、「編」と「篇」それぞれの違いを細かく説明した後に、さりげなく和田誠自身は「篇」という字を使用しているのですね。このあたり、装丁を仕事とする人の矜持が現れているようでとても興味深く好ましく思えます。
 そして、その矜持が一番爆発するのが最終章の「バーコードについて」で、バーコードというものが如何に装丁を殺すか、それについての憤りが切々と語られ、読んでいて胸が締め付けられるようでした。
 特に、
 
 おいおいバーコードなんかいくらでっかく入ったって、死人も怪我人も出ないぞ、と言われそうですね。その通りで、人は誰も死なない。でも出版文化を殺したり傷つけたりしてるんです。それをわかってほしい。

 この個所の「人は誰も死なない」の後に「でも装丁家を傷つけ殺しているのです」と続けたかったのではないかと、思わずにはいられませんでした。
 本もまた便利さを追求し、合理的な内容理解のもとに、原著者の意図を無視した改変が多く行われています。けれども、顧みてみて、それは本当に内容理解を助けているのか。現在という時間から見たエゴを昔の本に押しつけているだけではないのか。
 しみじみ、それを考え直させてくれる良書でした。
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