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ほととぎすの音にただよう朝の気配

 正岡子規の随筆集『墨汁一滴』は明治三十四年一月十六日から七月二日まで、新聞『日本』に連載されたもので、子規の没年が明治三十五年であることを考えれば、まさに晩年の作といえるでしょう。(もっとも、子規はこの後にもさらに『病牀六尺』と『仰臥漫録』という二冊の随筆集をものしますが)
 前作『松蘿玉液』で見られた、起き上がって庭の散歩をするなどといった描写は本作ではまったくなくなり、いよいよ子規は寝たきりで床ずれを防ぐために寝返りをうつのにも天井から垂らした紐や床に打ち込んだ金具を用いなければかなわなくなっていきます。
 当然文章も自らの病状や容体に言及したものが増え、やがて訪れるであろう終局に対する兆しがそこかしこに表れています。
 そのうちの四月二十日ですから、病の篤くなりつつあるのがようやく読者にも伝わりはじめた頃でしょう。子規は「諸法より手紙被下候諸氏へ一度に御返事申上候」と、病中見舞いをくれた人々へ一括の返事という形で文章をはじめます。
 有名人が病気になると、方々から既知未知問わず、やれこの薬が効能抜群、やれどの医者は腕がいい、やれあの祈祷師にまかせれば神通たちどころなどと来書があるのは古今を問わないようで、子規もまたそうした親切のターゲットになった一人だったようです。
 それに対して子規は、自分の病はもう末期だから、いまさらそうした親切にすがって徒労ばかりを覚えさせるのは申し訳ないのでおかまいくださるな、と謝絶していますが、文末で一言、現在いちばんの療法は「うまい物を喰う」ことで特にくだもの、菓子、茶などは熱が高くても食べられます、などと海のものとも山のものとも知れない伝聞の治療よりは好物を送ってきてくれと遠回しに催促しています。
 このあたり、さすがに一代の詩人であり文章家の面目躍如であると思われるのですが、私はそれを堪能するよりも先に、ずらりと並べられた当時の民間療法のうちで一カ所妙に目を引く部分があり、そちらに気を取られてしまいました。

「あるいは人胆丸は万病に利く故チヤンチヤンの胆もて煉りたる人胆丸をやらうかといはるるもあり」

 人胆丸の名前と直後の説明が示す通り、これは人間の臓器を使って作られた丸薬と考えてまちがいないと思われます。それがチャンチャンつまりは中国人が材料となっている点については、今はあまり関係がありません。子規にはこの『墨汁一滴』のうちにも「鶴の巣や場所もあらうに穢多の家」などという俳句が載せられており、時代風潮として差別が差別と自覚されることなく存在していた一例ではあるでしょう。
 それよりも私が気になったのは、こうした丸薬を、紹介者も子規も、そして当時の読者も異様な品としては認識していなかったらしいことです。
 江戸幕府において斬首役を担った山田浅右衛門家が死体を用いた薬品を作っていたことはつとに知られていることではありますが、御一新で斬首刑が廃止されたのが明治十五年、最後の斬首刑者で以前は明治の三毒婦の一人などと呼ばれた高橋お伝が無残な刑の執行を受けた(お伝の刑執行は二度失敗があったうえに、最後は押し切るようにしてようやく果たされたとも伝えられます)のが明治十三年ですので、『墨汁一滴』の時代から二十年は経っています。それでも当時の気風は、江戸のにおいを十分に残していたともいえます。
 愛媛に生まれた子規の身動きのきかなくなった晩年において、周囲からもたらされる空気に山田浅右衛門という江戸のいわば最も濃厚な空気が流れ込んできていたのは、これは機縁いや気縁とでもいうべきでしょうか。
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曙光は遠く

 去る5月2日、ふたば☆ちゃんねるオンリーの同人イベント「ふたば学園祭5」に参加してまいりました。
 同人イベントといいましても、少々他のものとは雰囲気の異なる催しなので、詳細につきましては割愛させていただきまして、かわりにその行き帰りの新幹線内で読んでいた本の紹介を。

『不知火・人魂・狐火』神田左京(中公文庫)
 鬼火、火の玉、火柱と、往古より怪談の冒頭に現れ、物語の露払いを果たす役どころを務める機会の多いのがいわゆる怪し火ですが、本書はそれら火にまつわる怪異に科学的な視点から批判を行っていった集積となっております。
 などと書きますと、時代錯誤もはなはだしい情緒を解しない本だと鼻白む方もいらっしゃるかもしれませんが、そこはいたしかたありません。なにしろ、本書の初版刊行は昭和6年(1931年)、今から80年近くも前のことなのですから。
 と言えば、すぐに「そんな古い科学知識があてになるものか」という声が聞こえてくるかもしれませんが、あにはからんや、本書の魅力の一つはそもそも科学的に怪異を読み解いていく個所ではなく、解読前の怪異の紹介部分にあるのです。
 探偵小説の名作が不可能事件をみずみずしい筆鋒で語っていく部分に魅力の一端があるのと同じように、著者の神田左京が懸命に怪異を否定しようとするにもかかわらず、むしろそれが懸命だからこそ、いよいよ怪異の説明が事細かく、さらに古今の事跡を丹念に説明してくれるので、この本一冊が怪し火のインデックスとなっているといっても過言ではなくなっています。
 例えば本を開いた冒頭の第1章「狐火」は、炭太祇の俳句からはじまり、『淮南子』と『本朝食鑑』による狐火の説明があった後『江戸名所図会』の「王子稲荷の狐火」の口絵が見開きで転載され、該当部分の引用がとられ、正岡子規の句、江戸後期の随筆作『一宵話』、さらに『本草綱目』による解説などなどこれでもかと十分すぎるほどに、過去における狐火の記述例が挙げられて、その概要が解説されていきます。
 これが「狐火」「鬼火」「人魂」「火柱」「蓑火」「猫の眼玉」「女髪の火」「セント・エルモの火」「火の玉」「不知火」と量の多寡こそありますが、全10章にわたって微に入り細を穿ち事細かに書き出されていくのですから、これだけでも十分すぎるほどに読みごたえがある労作となっています。
 その中で特に紙幅の割かれているのは、最後の「不知火」で、これだけで全体の3分の1を占めています。
 景行天皇御幸の記載中に現れる「しらぬい」伝説の誤読の説明からはじまり、過去の不知火文献の批判的分析部分は、現在の目から見ると正直退屈さが勝つところが多いです。
 単純に怪異に目くじらを立てる教条主義的な解説本でしたら、ここまでいたらずにページを閉じていたことだと思いますが、そういたらずに済んだのは、著者である神田左京の傲慢さを感じさせない物腰の柔らかな文体と、その批判の矛先が怪異ではなく別の方向にむけられていることがよく伝わってきたからでした。
 それはひとえに似非科学とでもいうべき、学問風な言辞を弄して、そうした知識のない人々を丸めこもうとする一団への批判といえるでしょう。
 怪異は怪異として興じるだけならばなにも言い立てる必要はなく、問題となるのは、それを利用して自らに都合のいい解釈を行おうとする態度である。
 こうした意識への批判は、たとえ本書の内容が時代的に古くなったとしましても、決して色あせることはなく、この部分があるからこそ、怪異を集めた編纂本としての風采に独自の色合いが出て読む人間を魅惑してやまないのでしょう。
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