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合わせ鏡の罠

 二冊も続けて、手を休めるのも惜しいと思わせる本に出会えたのは、ほんとうに僥倖としかいいようがないでしょう。
 先日の冲方丁『天地明察』に続いて、ドナルド・キーン『日本人の戦争 作家の日記を読む』を読んでおりました。
 かたや時代小説、かたや翻訳の評論書と、まったく様相を異にする二冊ではありますが、同じくらいの興奮を覚えてページをくりました。
 日記による太平洋戦争期の日本人の生活の省察については、個々の日記では多くの先行研究がありますが、何冊もの文書をとりあげてそこから時代精神を読み解いていくという行為は、案外例が少なかったように思えます。
 私も学生時代、戦中の作家の日記を色々と研究対象としていたのですが、例えば永井荷風の有名な『断腸亭日乗』の研究にしましても、多くの紙幅が費やされるのは戦前の部分で、戦中は多くの場合その孤立無援の精神の称揚に終始し、戦後にいたってはお茶濁し的にわずかに語るばかりでほとんど黙殺というのが大部分であったように思われます。(まあ、荷風の場合、戦後に発表した作品が目を背けさせたくなるものが多いので、いたしかたないのかもしれませんが)
 それだけ日本人にとって、まだまだ太平洋戦争という時期が、その敗戦から数年間の被占領期がタブーとなっているのでしょう。だからこそ日本の価値観とは一致しえないドナルド・キーンによってしか書きえなかった一冊ともいえます。
 特に戦争といいますと、即座に前線に目をやり、当時の国内情勢についての言及がまだまだ乏しいのが実情です。それから考えましても、永井荷風、高見順、伊藤整、清沢洌、古川ロッパ、徳川夢声などの当時そこに生きていた人々の声を通して、昭和十七年から二十一年にいたるまでの東京の様子が伝えられるというのは、それだけでも尊い価値のある仕事といえるでしょう。

 ただし、個人的な感想としては、はじめずいぶんと抵抗を覚えたのも事実です。特に本書では高見順、清沢洌と並んで山田風太郎の『戦中派不戦日記』から多くを引いているのですが、その引用が恣意的に思えてならなかったからです。
 しきりに「風太郎はこう書いている」、「風太郎はこう述べた」と書くのもその一つで、昭和二十年当時一介の医学生にすぎなかった山田は本名の誠也という青年であったとしても、後年の奇想の作家である風太郎としての自我を持っていたとは考えられず、日記作品として『戦中派不戦日記』を読む(『不戦日記』の中には一部筆が加えられたらしい痕跡があるのは、風太郎の没後刊行された昭和二十一年以降の日記によって示されており、山田風太郎記念館の研究員の方から私も聞かされておりますので、それはやはり一個の「作品」として考えるべきなのかもしれません)としては、その説明がどこにも加えられていない。
 あえて作家としての自覚が発生する以前の青年に、後年の作家としての風太郎の思想や思惑を被せるように(それが無意識的であろうとも)書くともとれる筆法は、どちらかというと風太郎贔屓の私の眉をひそませました。
 けれども、それはある種の文章が反復されるのに、ふと気づいてから別の読解可能性を示すようになりました。

 山田風太郎の日記を読んでわかったのは、それまで人は読んだ本によって自分の性格や信念を形成すると思っていたわたしの考えが間違いであるということだった。山田とわたしは、ほとんど同じ時期に同じ本を読んでいたにもかかわらず、二人の世界観は根本的に違っていた。(後略)(p. 13)

 山田風太郎もドナルド・キーンもともに1922年に生まれた同い年の文筆家です。そして、戦中の山田誠也青年は、貪るように多くの本を読んでいます。日記中の「読了」と「読んだ」という使い分けからして、多くは拾い読みの類だったと思われますが、それでも毎日なんらかの違う書物に目を通して、そして特徴的なのは昭和二十年に空襲が激化し、いよいよ国内情勢が絶望的になってくればくるほど、外国作品それもヨーロッパ文学を手に取るようになってきます。
 おそらく、そこにキーンは風太郎と自分になんらかの共通点を見つけたのではないでしょうか。けれども、その共通点は、「世界観」を根本的に異にするために、決定的にそりの合わない部分がある。
 似ているはずの二人の食い違い。キーンは大きなとまどいを覚えたのではないでしょうか。
 時折見せる『戦中派不戦日記』の引用の、ある種の偏向は、そのとまどいの発露のように思えます。
 例えば、キーンは昭和二十年三月十日、一夜にして十万人が犠牲となったといわれる東京大空襲を体験した日の日記を引用しています。

 昨晩目黒で、この下町の炎の上を悠々と旋回しては、雨のように焼夷弾を撒いているB29の姿を自分は見ていた。おそらくきゃつらは、この下界に住んでいる者を人間仲間とは認めない、小さな黄色い猿の群とでも考えているのであろう。勿論、戦争である。敵の無差別爆撃を、天人ともに許さざるとか何とか、野暮な恨みはのべはしない。敵としては、日本人を何万人殺戮しようと、それは極めて当然である。
 さらばわれわれもまたアメリカ人を幾十万人殺戮しようと、もとより当然以上である。いや、殺さねばならない。一人でも多く。
 われわれは冷静になろう。冷血動物のようになって、眼には眼、歯には歯を以てしよう。この血と涙を凍りつかせて、きゃつらを一人でも多く殺す研究をしよう。
 日本人が一人死ぬのに、アメリカ人を一人地獄へひっぱっていては引合わない。一人は三人を殺そう。二人は七人殺そう。三人は十三人殺そう。こうして全日本人が復讐の陰鬼となってこそ、この戦争に生き残り得るのだ。(『戦中派不戦日記』p. 27、『日本人の戦争』p. 84)

 戦争のもたらす狂気を伝えるのに過不足ない、狂った現実からもたらされる狂った理論の典型といえるでしょう。
 これをアメリカ人に対する「憎しみ」と受け止めるキーンの読みは、相当といってもよいと思います。
 そこから、

 たぶん、わたしたち二人を隔てる最大の違いは、山田が抱いたような敵に対する憎しみをわたしが持たなかったことだろう。勿論、わたしはアメリカが勝つことを望んでいた。しかし、わたしは自分が尋問した日本人の捕虜に温かみを感じたし、そのうちの何人かとは友達になった。わたしは一人でも多くの日本人が戦闘で殺されることを望む代わりに、一人でも多くの捕虜となって助かって欲しかった。おそらくわたしに憎しみが欠けていたのは、少なくとも日本人はわたしの住んでいる町を破壊しなかったし、日本人がわたしの国を占領するのではないかと恐れることもなかったからに違いない。わたしは何十万人という日本人が虐殺されればいいと思ったことはない。原爆投下は、わたしにはひどい衝撃だった。(pp. 85-86)

 という感想をもたらすのは、穏当なものであるとも思えます。
 先の引用が全文であるならば。
『不戦日記』では「この戦争に生き残り得るのだ」の後、行を変えずに次のような文章が続きます。

 自分は歯をくいしばって碧空を見た。日は白く、虚しく、じっとかがやいていた。
 しかし、自分達はいいようのない憂いを持って、A町の鮨屋を訪ねた。(後略)(p. 87)

 この一文と、それに続く段落の文章によって、先の引用の印象はかなり変化します。
「虚しく」かがやく白い太陽と、その背景の碧空は、あまりにも書き割り然として、白けた印象を与えずにはおきません。そして、あれほどの熱情を吐露した後に覚える「いいようのない憂い」とは何なのでしょうか。
 それは、先の引用部分のあまりにも芝居がかった狂気が、その芝居がかったところからくる自嘲の念ではないでしょうか。にもかかわらず、狂気を持続させねばならず、そのためにはペルソナをかかげ続けないといかないという内心の葛藤をもって、血を吐くようにしてつぶやかなければならない。こうした二面性からくる苦悩は同時に極めて近代西洋的な個人の萌芽とも読める、つまり世界から孤立した日本という特殊な風土が生み出した特異な思想ではなく、あくまで同時代的な世界に生きる一個の近代的知識人の姿を読むことさえも可能とするのです。
 それをドナルド・キーンはとまどわずにはいられなかったのではないでしょうか。
 山田誠也青年は憎しみを覚えていた。それは間違いないでしょう。けれども、それは仮想現実的な「敵」であって、個人として特定できる「アメリカ人」ではなかったのではないでしょうか。それはだれもが普遍化できるかもしれない「憎しみ」だった。
 自分と同世代で、

 山田はトルストイ、チェーホフ、ゴーリキーの小説を読んでいるが、一番興味を覚えているのは(わたしと同様に)フランス文学、特にバルザックだった。ある時、わたしは『人間喜劇』全巻を読もうと心に決めたことがあった。結局、それは果たせなかったが、たぶん山田はわたしよりもバルザックをたくさん読んでいたと思う。この時期に山田が読んだ一冊は、特にわたしを驚かせた。それはマーテルリンクの『ペレアスとメリザンド』で、遥か昔の遠い王国を舞台にした繊細で美しい戯曲だった。この一節を読んだ時のわたしの最初の反応は、恐ろしい戦争のさなかに読むには変わった本だということだった。しかし次の瞬間、一九四五年に沖縄に上陸した時、自分がラシーヌの『フェードル』をザックに入れていたことを思い出した。(p. 85)

 本の趣味嗜好も似て、行為にも相似するところがある山田風太郎に、ドナルド・キーンは一種のシンパシーを覚えたのではないでしょうか。
 しかし、それはある一線で、とうとう認められないシンパシーであった。だからこそ、キーンは風太郎を自分とは縁のないまったき他者として遠ざけようとしたのではないでしょうか。
 けれども、それはとまどいという形で、あまりにも強く文章に痕跡を残してしまった。
 それが、最初の私に覚えさせた抵抗の一端だったように思えます。
 引用は効果的に他人の文章を語らせる手法であると同時に、自身をも赤裸々に写しだしてしまう鏡ともなりうる。それを思い出した途端に、はじめの抵抗も消えて、後は「ドナルド・キーンという人物の持つ太平洋戦争観」として、また一つの貴重な戦争体験記を読むつもりでページをめくることができました。

 最後にあえてくりかえしますが、この『日本人の戦争』はとてもよい本であって、私にドナルド・キーンを揶揄するつもりはありませんし、深い日本語と日本文学理解で知られる氏に対してそんなことができるような能力はもちろん持ち合わせておりません。
 この本は、ある戦争体験という一つの事象を通して、多くの人々の見解がどれほど違ったものとなっているかを描いた希有な研究書であり、そしてその語る言葉自体がまた一つの研究対象ともなりうるという、二重三重の深度をあわせ持っています。
 少なくとも、六十五年もの時間を経ながらも、いまだに直視しようとしない私達日本人は忸怩たる念を持ち、読まねばならない書であるといえるでしょう。
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解答乱麻を断つ

 最近少し話題になっている『天地明察』という小説を読みました。
 著者の冲方丁については、友人より何度も紹介されてはいたのですが、これまで手を伸ばすのになんとなくふんぎりがつかなかった作家です。
 結果としましては、毎度のことながら私の見識の低さを思い知らされることになりました。
 とにかくおもしろい。物語の展開を追い、一ページ、一行、一文字を読み進めていくことへの、小説を読むということへの喜びをしみじみ味わえる作品です。
 しかし、展開といいましたが、派手などんでん返しがあるわけでも、無数に張り巡らされた伏線が一気に解消されるというわけでもありません。主人公である二代目安井算哲こと渋川春海の伝記を追って、一つ一つの事象が丁寧に物語化されているのですが、その丁寧さが非常に心地よく進んでいきます。
 時代は徳川第四代将軍家綱の頃、碁を打つことで将軍家に仕える碁方にある春海は、碁の他にも算術や天文術にも強い興味を持つ奇人で、特に前者には滅法目がなく難問奇問に打ちあたれば時も場もわきまえずに算盤や算木を取り出してその計算に没頭するという癖さえ持っており、周囲からは「そろばんさん」などと呼ばれる始末だった。
 物語はその「そろばんさん」が老中酒井忠清に北極星を計測してくるようにとの命を受けるところからはじまるといってもいいでしょう。そして、それこそが春海の生涯の半分をも費やす、改暦という大事業へとつながっていきます。
 武断政治から文治政治への移り変わりにおいて、武力ではなく知と和でもって世を治めなければならなくなった時代を背景におきながら、必ずしも武士ではない春海が改暦を中心とした「真剣勝負」の連続にさらされる様はまさに息を呑むという言葉に尽きます。
 そして、その主人公が必ずしも天才でも鋼の如き胆力を持った人物としてはなく、むしろ不器用で朴念仁に描かれているところが、さらに読む者のワクワクを煽ります。
 不器用ながらもひたむきな性情は、やがて、ある頃から大きく姿を変え、そこに一種の格好よさを写し出していきます。
 かつて、ある時代小説の評論家は、「現代の小説家は主人公を作りあぐねてきた」と喝破しましたが、この小説において冲方丁は、マッチョでもインテリでもない、定石をはめ込むことに生涯をかけたひたむきな主人公を描きだしたといえるのではないでしょうか。
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