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コミケ告知

 改めまして、コミックマーケット77の告知をば。

 12月31日(木曜日)
 西1ホール 「り」-27a
 有滑稽

 にて参加しております。
 新刊「風船登桜」は前回頒布の『占領下の百鬼園』の続編ではありますが、話のつながりは薄くなっておりますので、こちらから読んでいただいても全然OKって感じになっています。
 豊富な在庫を今回も持ち込みますので、興味をお持ちいただけましたら是非!
 もう、部屋がこれ以上狭くなるのは辛いんです……
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【東方Project】Ring Ding Swing【パロディ】

 思えば、多くの人と素敵な出会いをもたらしてくれた一年でした。
 そのおかげで、これまで単純に受け手側として楽しむだけだった東方Projectの織りなす世界に、まったく未熟ながらも足を踏み入れることができました。
 その感謝の意味をこめまして、既に少々時間は過ぎてしまいましたが、聖誕祭の一エピソードをイメージして一編の小説を草しました。
 タイトルは「Ring Ding Swing」。
 駆け足での執筆で、推敲も施していない雑文であり、誤字脱字もあるとは思いますが、東方パロディ作家の最末席に位置する人間の拙文としまして、そちらも含めてご笑覧いただけますと幸いです。

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テーマ : 二次創作:小説 - ジャンル : 小説・文学

うなり声とハミング

 きっかけなんてほんと他愛ないものです。
 なんとなくグレン・グールドという名前を思い出して、You Tubeで検索した動画がこんなにはまるとは。

 グールドは大学時代のクラシック好きの恩師が非常に贔屓にされておりまして、コンサートを若いうちにドロップアウトして後は録音のみの世界に入ったとか、多くの音楽評論をものしているとか聞かされていましたので、いかにも理屈が先に立つようなもっと線の細い音楽を奏でる人だと思っていたのですが、これほどパッションに満ちた演奏だとは……
 まったく個人の思い込みほどたちが悪く、愚かしいものはありません。
 しかし、まずこの動画を見ると、気になるのがグールドの演奏スタイルと声だと思うのですが、私はまず真っ先にこの方を思い出しました。

 ごぞんじジャズの人気ピアノ奏者キース・ジャレットです。
 この人も演奏中のスタイルと、なにより「うなり声」に定評があります。
 ところで、くだんの動画を拝見いたしまして、いてもたってもいられなくなり、早速CD屋さんでグールドのCDをいろいろと物色してきたのですが、多くの盤ではどこかに、

「録音の中に一部演奏者のハミングが入っているものがあります」

 とただし書きがされていました。
 どれもこれもハミングでうなり声と書いているものはどこにもない。逆にキース・ジャレットの場合はどこでもうなり声でハミングと評されることはない気がします。
 寡聞な私の妄想ではあるのですが、音楽ジャンルの垣根って、案外こういう何気ない言葉選びのなかにあるんじゃないかなと思えます。

真珠をめぐって

 坂口安吾という作家は知ではなく感か情の人でありました。
 ですので、よく知られた「日本文化私観」にしても、論理を組み立てて結論にいたるというような構造を持たず、むしろ自分の心情吐露に終始した一編となっています。その点では柄谷行人のいう「安吾の自己省察だけ」という評も適切であるといわざるをえないでしょう。
 その坂口安吾の短編のうち、あまり人の口にのぼらない「真珠」という一編があります。
 これは昭和十六年の真珠湾攻撃に先立ち小型潜水艇に乗って特攻を行った岩佐直治他八名に対する非常に率直な感動と、運命の日である十二月八日前後の自らの行動を対比的に描いた、自己省察的作品の一つといえます。
 私は毎年八月に山田風太郎の『戦中派不戦日記』を読むのと同じく、毎年十二月八日にはこの「真珠」を読み直すことにしています。

 この戦争が始まるまで、パリジャンだのヤンキーが案外戦争に強そうだ、と、僕は漫然考えていた。パリジャンは諧謔を弄しながら鼻唄まじりで出征するし、ヤンキーときては戦争もスポーツも見境がないから、タッチダウンの要領で弾の中を駈けだしそうに思ったのだ。

 冒頭近くこのように述べられた以前の戦争観が、太平洋戦争の開戦によって、

 だが、パリジャンやヤンキーは楽天的だ。娘たちに接吻を投げかけられて、鼻唄まじりで繰り込むのである。この鼻唄は「たぶん死にはしないだろう」という意識下の確信から生まれ、死というものを直視して祖国の危機におもむく人の心ではない。日本人はもっと切実に死を視つめて召集に応じているから、陽気ではなく、沈痛であるが、このどちらが戦場において豪胆果敢であるかといえば、大東亜戦争の偉大なる戦果が物語っている。必死の戦法というものが戦争のルールの中になかったなら、タッチダウンの要領でも世界制覇ができたであろう。

 と変化したことが述べられています。
 従軍経験を持たないこと、第一次世界大戦への知識の乏しさからくる、なんとも「楽天的」な発想ではありますが、それ故にかえってこの数行に安吾の本音があけすけに現れているようにも思えます。(しかし、この「真珠」の発表された昭和十七年六月にミッドウェー海戦が行われたというのも皮肉な話ではあります)
 その本音はおそらく、十二月八日の大本営発表をラジオで聞く場面に表されているでしょう。

 僕はラジオのある床屋を探した。やがて、ニュースがあるはずである。客は僕ひとり。頬ひげをあたっていると、大詔の奉読、つづいて、東条首相の謹話があった。涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。一兵たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。

 高村光太郎や太宰治も覚えた開戦の高揚に対しての率直な反応であり、およそ当時の日本国民の大多数が覚えた熱狂の渦に安吾も飲まれていたという一つの証左であるでしょう。
 この文章を思いますと、「日本文化私観」の有名な一文の解釈にも別の視点が組み込まれる気がします。

 見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駈けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして真に生活する限り、猿真似を羞ることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。

 反語として解釈されることが多いこの部分ですが、「日本文化私観」が昭和十七年三月、つまり真珠湾攻撃の後、「真珠」に先だって発表されていることを思う時、案外、心情告白の文章としても読めるのではないかと考えてしまいます。
 そうした開戦時の熱狂に流された経験があったからこそ、戦後の「堕落論」において、

 私は戦きながら、然し、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。実際、泥棒すらもいなかった。近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締なしで眠っていたのだ。戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるとしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておけばよかったのだ。私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。

 一時は信じた実質なるものが、空虚に転じてしまった時、なかば居直りともとれるやり方で、それを全肯定せずにはいられなくなったのではないでしょうか。

 私は別に安吾の戦争責任や思想転向をどうこういいたいわけではありません。
 ただ、「真珠」は、実は安吾の作品中でも佳品に数え上げるべき一編なのです。例えば「桜の森の満開の下」や、例えば「夜長姫と耳男」に流れる静かな熱狂に通じる美しさが文章にみなぎっている。
 しかし作品の性質上、どうしてもその前後の状勢に触れないわけにはいかない。
 けれども、思いますに、そうやって考察することが、戦争と文学者の関係を見直す機縁にもなるのではないでしょうか。
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