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夏コミといふこと

 以前にも書きましたが、コミックマーケット76に参加いたします!
 そのための入稿が先日完了いたしました。
 新刊の予定は2冊で、それぞれ『占領下の百鬼園』と『映姫を養う』というタイトルになっております。

『占領下の百鬼園』は終戦直後の昭和20、21年を扱い、内田百間という作家の周辺を描いた創作小説となっております。
 現在では『冥途』や『旅順入城式』で知られる百間ですが、生前はむしろエッセイの妙手として名をなしていました。そして案外知られていないことですが、生涯に出した著作の数は40冊にものぼり、それなりの量の文章を残しております。
 性格は本人自ら「官僚的」と表現し、自分で決めた生活習慣を他人に左右されるのが大嫌いで、なにがなんでもそれを貫かないと気が済まないという、端的にいうならわがまま気ままな糞爺となるわけですが、これが文章にも現れておりまして、単行本の刊行具合がこの人の場合、おおむね2年で3冊というペースで決められていて、亡くなる直前までほとんど崩れることがありません。
 ところが、戦後の一時期、正確にいうならば昭和22年2月刊行の『新方丈記』から25年4月の『贋作吾輩は猫である』にいたるまでの3年と2ヶ月の間、1冊の新刊単行本も出されることはありませんでした。
 時代は戦後の混乱期、それに巻き込まれて文章仕事がなかったんじゃないのか。そんな疑問は、実は当てはまりません。戦中の文章検閲の余波を受けて、むしろ百間の筆名はこの時期急速に高まっていたのです。それは旧著の再版や、旧稿の編纂本が次々と編まれたことからも明らかです。編纂本の数は『御馳走帖』を嚆矢として、10冊以上にのぼります。2度目の爆発的な百間ブームは戦後のこの時期にあったのです。
 それにともなって、新しい原稿も定期的に執筆しております。日記を読んでいますと、終戦直後こそ依頼を断ることが多いですが、次第に筆も回復し、戦前並み、もしくはそれ以上のペースで原稿は書かれています。実際、戦後最初の随筆集『随筆億劫帳』の原稿はかなり早い時期で出そろっておりました。
 では、どうして単行本の刊行だけが遅らされたのか?
 この本はそんな疑問からスタートして、戦後風俗を追いながら書きたいように、つまりは百間をだしに使って作られた創作小説です。

 もう1冊の『映姫を養う』はタイトルを見ればわかる人はピピンとくるとは思いますが、上海アリス幻樂団によるシューティングゲーム連作東方Projectの二次創作小説となっております。
 しかも18禁!
「大丈夫か!?」
「大丈夫なわけあるか!」
 でも書きたいように書けたので、出来云々はひとまずおきまして、この本が作れたことには私的には結構満足しております。
 執筆の発端は、意外と東方Projectの物語が、日本の近代小説と水が合わないと思ったことにあります。日本の近代小説は都市の発展とともにあり、そして東方Projectが幻想郷という名前に象徴的にそうした都市化から(表向きは)背を向けているところにあるからだと考えられます。
 で、ならだれの小説とは親和性が強いだろうと考えていった結果、思い浮かんだのはカフカという名前でした。『城』の迷宮的な空間と、その斜陽にあるとはいえ閉鎖的かつ封建的な舞台設定は、かなり幻想郷の色合いと似通っています。
 カフカ、特に『城』とくれば、これはエロ小説になってしまうのは事の成り行き上いたしかたない必然といえるでしょう。
 そして、『城』の主人公はK。不可思議な命令系統に翻弄され、なすすべもなく事態に巻き込まれていく測量士です。そういや東方にも「距離を操る程度の能力」を持っているキャラがいました。名前はたしか小町……Komachi……
 小町メインのエロになるのも、これは歴史的必然といえるでしょう。
 などと、それらしい理屈はいくらでも後付けで乗っけることはできますが、しょせんはエロ小説ですので、エロいと思っていただく以上の幸せはございません。

 この新刊2冊に加えて、何冊かの売れ残り既刊も持っていく予定です。
 日時とスペースは、

 8月16日(日)
 東5ホール ピ-51a
 有滑稽


 です。
 是非ともよろしくお願いいたします。
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IIと2の差

 演歌が太平洋戦争の前と後で大きく様変わりしたように、ジャズという音楽の受け取り方もかなり大きな変化があったように思われます。
 歌謡曲の大きなベースとなっていたジャズが、戦後にはブギウギやマンボ、ロカビリーにとってかわられて、喧騒と乱痴気が落ち着いたムード音楽に変遷していったのは、時代の移り変わりというのもあったと思いますが、戦争を間にはさんで多くのものが捨て去られた例にもれず、戦前のジャズの持っていた雰囲気はかなりの部分が取りこぼされてしまったように思えます。
 そんな失われた雰囲気を追体験させてくれるのが、既に世に知られて久しい吉田日出子の歌うアルバム『上海バンスキング』です。
 昨日は『上海バンスキング2』というCDアルバムを買ってきました。
 とはいいましても、『Over the Wave』っていうタイトルがついているやつじゃありません。これじゃなくて、
上海バンスキングII
 こっちです。
上海バンスキング2

 私も最近まで知らなかったんですが、これまったく別物なんですね。
 前者は1983年に録音されたもので、後者は1987年の録音で串田和美監督による1988年公開の劇場版映画のサントラの意味合いもこめられているようです。
『上海バンスキング2』の『2』って深作欣二版の映画と混同しないための配慮みたいですね……って今更わかるか、そんなもん!
 おかげでずっと同作品のジャケット違いだとばかり思っていましたよ。
 で、その1987年版『上海バンスキング2』の収録曲は、

1、ウェルカム上海
2、お月さんの下で Under The Moon
3、ケアレス・ラブ Careless Love
4、レイジー・ボーンズ Lazy Bones
5、シャイン・オン・ハーベスト・ムーン Shine on Harvest Moon
6、リンゴの木の下で In The Shade of The Old Apple Tree
7、セント・ルイス・ブルース St. Louis Blues
8、貴方とならば I'm Following You
9、マイ・メランコリー・ベイビー My Melancholy Baby
10、シュッド・アイ Should I
11、アフター・ユーヴ・ゴーン After You've Gone
12、夢のジャムセッション

 の12曲になっております。
 うち1982年と1983年に出た『上海バンスキング』IとIIとかぶっていないのは2、3、5、9、10、11、12ですね。とはいっても、12は「ウェルカム上海」のインストジャムセッションバージョンなので、実質6曲です。
 とはいえ、かぶっている曲も全部録音が違います。
 テーマ曲でもある「ウェルカム上海」は1番をピアノ伴奏だけのほとんどアカペラ状態で歌って2番からバンド演奏が入るんですが、すごく哀調が増されています。「リンゴの木の下で」もバンジョーのソロが途中で入ってきまして、ずいぶんと印象が変わります。

 狂乱のブンチキ騒ぎの中に、常に胸を去来する哀切はとても好みなので、そのなかに新しい一枚を加えることができたのはとても嬉しいことでした。

真夜中は別の顔

In A Silent Way(現行)
 マイルス・デイヴィスの『In A Silent Way』を買ってきました。
 前から持っていたのは持っていたんですが、いまいち気に入らないので、思い切って買いなおしてきた次第です。
 あんまり、「録音状態が……」とか「リマスターで見違える音質に……」とかいわれてもわからない人間ですので、そちらに関して不満があったわけではありません。
 じゃあ、なにが気に入らなかったかといいますと、ジャケットです。
In A Silent Way(旧)
 これが以前出ていたCD盤のジャケットですが、正直なにがなんだかわかりません。
 現行版と比較できるから、着ているのもタートルネックのセーターだと判別できますが、正直闇夜に浮かぶ油じみた生首という印象でした。それも出来の悪い油ネンドの作り物のような。
 血走った目で、どこかあらぬ方向を睨みつけるマイルスの顔は、たいそう攻撃的で「ジャズとロックの融合」なんていうありきたりな謳い文句には合っているかもしれませんが、残念ながら肝心の中身の音とは完全に食い違っています。
『In A Silent Way』の魅力は、少ない音で構成される牧歌的なメロディが延々と続き、マイルスのトランペットもたゆたうようにハーモニーを刻んでゆくところだと思います。つまり、静謐の音楽なんですね。
 それには、この旧ジャケットはあまりにもうるさい。
 電子楽器を意欲的に導入し、ロックのリズムを取り入れた作品。と聞けば、たいていの人はタテ乗りの激しい音を想像するし、期待もします。そこにこの旧ジャケットです。
 個人的にはワイト島でのライブがこのジャケットに包まれていたら、さほどの違和感は覚えなかったと思います。
 ところが、実際の中の音は、先ほどの説明の通りで。
 音に関しましては、恥ずかしい耳しか持っておりませんので、あまりリマスターで持っている盤を買いなおす趣味はないのですが、ジャケットと中身のトータルコンセプトに齟齬を感じるのはいかんともしがたく、とうとう買いなおしを決心しました。
 ようやく長年のもやもやが晴れた気がします。

ユマニズムの二つの形

 澁澤龍彦は渡辺一夫が嫌いだったんじゃなかろうか。
 特に確証があるわけではないのですが、そう思うことがあります。
 渡辺一夫といいますと、『ガルガンチュワ=パンタグリュエル物語』の訳者として、戦前戦後の昭和という時代を代表する学者の一人と勝手に思っています。
 この人、澁澤龍彦が東京大学のフランス文学科に入った頃には、まだ教授をやっていたはずなのですが、澁澤の文中でまったく名前が出てこない。
 もっとも澁澤は辰野隆も鈴木信太郎も豊島与志雄も佐藤正彰も、要するにほとんどのフランス文学者に顔を出させないので、それだけで速断するのは根拠が足りないとは思います。それでも例えばヴィヨンの詩を紹介する際には鈴木信太郎の名を出したりと、先訳者への敬意をないがしろにはしないのですが、ところが『ガルガンチュワ=パンタグリュエル』を引用する時には、見事なくらいにそれがない。
 ちょっと手元に本がないのではっきりしたことがいえないのですが、例えば澁澤が『胡桃の中の世界』で紹介した15世紀イタリアのドミニコ僧フランチェスコ・コロンナの書いた『ポリフィルス狂恋夢』を、その和名も含めて紹介したのは渡辺一夫だった気がしますし、澁澤のように深くつっこんだ考証はありませんでしたが、先達として多くのオカルト知識を世に知らせた功績は確かにあったように思われます。
 しかし、やっぱり澁澤の文集に渡辺の名前はでてきません。
 そして、三島由紀夫との対談にて、

 三島 (前略)しかし、明治から以後は、鏡花もそうだけど、田舎者が文学の中心を占めて、田舎者の文学を押しつけてきた。田舎者が官僚になれば明治官僚になり、文学者になると自然主義文学者になり、その続きが今度はフランス文学なんかやっているんですよ。あなたじゃありませんよ(笑)
 澁澤 僕じゃない。もっと偉い人ですよ(笑)。

三島由紀夫、澁澤龍彦「鏡花の魅力」


 最後に東京生まれの澁澤の名前を出しているところから、生まれというよりは、明治以降の東京という都市のあり方が「田舎者」流であったと、三島の主張は汲み取れます。
 大江健三郎を通して、渡辺一夫に微妙な思いを抱いてらしい三島を思えば、このフランス文学者が渡辺を想定していたともとれます。
 澁澤のいう「もっと偉い人」というのも、この対談が行われた昭和43年当時、東京大学を停年退官後立教大学、明治学院大学の文学部教授を務め、さらにパリ大学附属東洋語学校の客員教授も兼任していて、日本におけるフランス文学者の代表的存在であった渡辺を指すとしても、さほど不自然ではないように思われます。

 まあ、すべて私の勝手な下衆な憶測ではありますので、大きく見当を外していることを祈るばかりです。
 何故なら、渡辺一夫はもちろんのことながら、澁澤龍彦もまた戦後日本に大きな影響力のあったユマニストの一人であったと考えるからです。
 澁澤は言葉こそ過激でアジテートする部分がなかったとはいえませんが、闘争を先導するようなタイプではなく、むしろ寛容を説いていたように思えます。
 時に皮肉を交えて、冷笑すら見え隠れする文章はいわゆる、人道主義という誤った訳語の与えられている「ヒューマニズム」からは考えにくいですが、多くの芸術家を発見し称揚した根底には熱い寛容の心があった気がしてなりません。
 そうした人が、なにをきっかけとしてであれ、同じユマニズムの下で争うことほど哀しいことはないからです。

嬉しき誤算

 北村薫が六度目の候補にして直木賞を受賞したというニュースは、ほんとうにひさしぶりに心が晴れる思いでした。
  これまでも機会のくるたびに受賞確実といわれながら、ついにするりとこぼれてしまっていたため、正直、今回も多分無理じゃないだろうかと考えていただけに、うれしい誤算でした。
 氏の文章に初めて接したのは大学一回生の頃でした。当時、ミステリにどっぷり首までつかっていた私は、『空飛ぶ馬』にはじまる円紫さんと「私」のシリーズにぶつかって衝撃を受けました。
 ぶつかって、確かにあれは出会い頭に正面衝突をしたくらいの驚きでした。
「世の中には、こんなに文章のうまい人がいてよいものか」
 それほどに北村薫の文章は見事なものでした。
 無駄なく簡潔でありながら、読めば読むほど表現力の深さが伝わってき、語彙は豊富ながらも新しい言葉に対応できる柔軟さを兼ね備えている。
 こんな人がミステリを書いてくれる。しかも、さまざまな問題意識を抱えながらそちらをテーマにすることなく、「本格原理主義」の旗印を掲げてはばからず、「よいミステリとはどんでんがえしの妙味を感じさせてくれるもの」という持論を実践してやむことのない旺盛な創作意欲に大いに励まされたものでした。
 さらに書籍に対する底知れぬ、愛に満ちた知識。小学校教科書に載せられた一編の詩から古今東西の小説の読書量は、驚嘆の一言に尽き、作家というのはなんと多くの本を読み、読んだだけではなくそれを自分のものとしているのだろうと、しみじみ思い知らされました。
 そして、エッセイなどから読み取れる、徹底した性善説の主張も非常に力強く、正面から人の善意を受け止められる懐の広さと、タフさに憧憬の念を強くするばかりでした。
 ともかく、現代日本人作家のなかで、最も尊敬する人物が、近年の作で私も愛読している『街の灯』のシリーズで、このようにしっかりと評価されるという事実は、喜ばしいばかりではなく、もう何度目かわからない励ましを氏から受けたような気持ちにさせてくれるのでした。
 加藤周一が石川淳の「普賢」が芥川賞を受賞したことを「石川淳の名誉ではなく、芥川賞の名誉である」といったように、この北村薫の受賞は数多くの直木賞の名誉の一つに新たな印を刻んだことになるでしょう。

一人称の冒険

 平岡正明の『マイルス・デイヴィスの芸術』を買ってきた。
 おそらくこんな機会でもなければ、ずっと手を出しあぐねたままになっていた本だと思う。
 平岡の文章は得意か苦手かといわれれば苦手だった。
 傲慢で独善的でなにごとをも大上段から切り落とさないと気がすまないあの筆法にはいつも戸惑った。そして「俺」だ。
 初めて平岡の文章に接したのはいつで、果たしてなんだったのか、もはや記憶にはない。
 それでも、あまりにも強い「俺」のインパクトはいまだに心に刻み付けられたまま、蓋をしてできるだけ目にしないように努めてきた。
 そういえば、『AKIRA』のなかで大佐がいってたっけ。
「見てみろ、この慌て振りを。怖いのだ。怖くて堪らずに覆い隠したのだ。恥も尊厳も忘れ、築きあげて来た文明も科学もかなぐり捨てて、自ら開けた恐怖の穴を慌てて塞いだのだ」
 とはいえ、せいぜい大学生ぐらいだった青坊主には恥も尊厳も、ましてや築きあげた業績なんかもあるはずはなく、単純に「俺」の一人称で語る評論家の存在に、世間知らずに動揺しただけだったのかもしれない。
 だから、その動揺を人に気取られまいと、平岡の文章を遠ざけたのかもしれない。悔しかったんだろう。
 山田風太郎をテーマにして論文を書いたときも、結局『風太郎はこう読め』は飛ばし読みしただけで全文を読破しなかった。悔しかったから。「俺」なんていう人に先を越されていたのが。
 それだけ「俺」のインパクトに無茶苦茶にやっつけられていたんだろう。
 かつてこの「俺」と同じくらいのインパクトで迫られたことがあった。
 その人は「ぼく」といった。そして「ぼく」といえば植草甚一さん以外には考えられなかった。
 植草甚一さんは軽妙な語り口調でどんどんと自分の好きなことを語った。ぺらぺらぺらぺらと、得意の英語で英字新聞やらレコードのライナーから好き勝手に引用してきて、針の壊れたレコードみたいにどこまでもしゃべり続けた。
 でも「ぼく」の柔らかさに不思議と引きつけられて、どんどんと読み進めちゃった。
 この、ちゃったなんていう文章が許されるのを知ったのも植草さんからだった。「ESPディスクのアルバート・アイラーには興奮しちゃった」こんなタイトルをつけられるのは植草さんだけだ。
 しかし、よくよく考えてみれば、この二人の語り口調はよく似ている。
 まずあらかじめ用意されていた結論があって、そこにいたるまでの紆余曲折が描かれる。その曲がり具合があまりにも大きいために、みんな驚き呆れて、そして引き込まれていくんだろう。
 平岡正明と植草甚一、DJとJJは「俺」と「ぼく」の違いだけで、それを取り除いてみたら案外近しいところにいるように思える。
 なんていったら、二人とも笑いながら怒るだろう。
 植草さんはいつもの人のいい笑顔を浮かべながら、でも目だけは笑わずにじっと見据えてくる気がする。
 平岡は多分苦笑してすごく蔑んだ顔で見てくるんじゃないだろうか。
 でも二人とも異口同音に「あんなやつといっしょにするなよ」という気がする。
 もちろん似ていない面もたくさんあるし、おそらくそちらの方が遥かに多いだろう。
 けれども、「俺」と「ぼく」の同様なインパクトの前に、つい同一視をしてしまうのだ・
 俺もぼくも一人称として使用する作家はごまんといる。それでも、自らのスタイルとして通して、アイデンティティにまで昇華し、かっこつきの「俺」と「ぼく」になしえ、なおかつそれだけで作家のペルソナまで透徹させえたのは、ひとえに作家の力量によるものだ。
 しかし、それでも「俺」や「ぼく」のインパクトは心中を去ることなく、時おりため息とともにひとりごつことになる。
 それに比べると、私のなんと凡庸なことか。
 なんだ、この感覚は単なる嫉妬だったのだ。

与太郎節

 ここのところひさしぶりにメトロファルスづいております。
 結成が1980年といいますから、30年近く活動を続ける老舗ロックバンドです。
 チャンチキでブンチキな音とボーカルの伊藤ヨタロウの書く玄妙洒脱かつべらんめえな調子の歌詞が「老舗」という単語に妙にしっくりときます。
 初めてヨタロウの歌声を聞いたのはJAGATARAのドラマー中村テイユウがプロデュースしたアルバム『SHI-TA-I!!』収録のタイトル曲「SHI-TA-I!!(LAST FREAKS)」でした。ここで、田口トモロヲにも負けない変幻自在な声で歌い上げるその歌唱にびっくりしてしまいました。
 メトロファルス初体験はテイチクから出ていた1stEP『SAKAMOGI SONG』の復刻CDで、大学の購買部で購入しました。
 余談ですが、私の通っていた大学の購買部は少々おかしく、大部分がポップスの売れ筋部門で占められているのに、そのなかにひょいと混ざって、日本のパンクやらフォークの濃いところを入荷させていました。しかし、JAGATARAや町蔵を興味本位で買うのはまだいいとして、メルツバウやら非常階段をまちがって購入してしまった人々の心境はいかばかりなものだったでしょう……
 閑話休題。
 この『SAKAMOGI SONG』の「SAKAMOGI SONG 《墓守りクリスの唄を聴け》」や「消息不明の子供達」の歌詞のごたまぜ感にやられて、『BARIZANVEUX』『PIPI ZAZOU』『盗賊どもの夜会服』などを次々と購入して聴いておりました。
 以来、聴いては小休止、休んでは聴くというサイクルをくり返していたのですが、最近また1994年発表の『風狂伝』を聴いて何度目かのマイ・ブームに。
 この『風狂伝』以降の『LIMBO島』『俺様祭り』はアイリッシュ色を強くして、音楽的に大きな変化がもたらされたといわれていますが、むしろもともと持っていたごたまぜ感に新しい色合いが加わったというべきでしょう。
 それはちょっとレゲエ調やヒップホップ調などを混ぜただけで、浪花節を「多国籍ミュージック」などと呼ぶような、単純に国際意識に無頓着かつだらしない「多国籍」なものではなく、自分の使う言葉、育った文化を顧みながら、常に他国との距離と位置関係をはかりつつ組み立てられるごちゃまぜ感であり、だからこそたとえそれがアイリッシュに傾いていたとしても日本的な意識が浮かび上がってくる、基調のしっかりとした無国籍性というべきでしょう。
 それはアンダーグラウンド(メトロ)と坂口安吾(「FARCEに就いて」)を合成した造語だというバンド名からもうかがわれ、借り物ではないリズム、節回しは常に私の細胞を刺激してやみません。

 それではニコニコ動画より「消息不明の子供達」のPVを。
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