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湯の香に誘われて

 阪神高速十五号堺線の高架を背後にして、路地をぶらりと歩く。
 大阪に古い町家はほとんど残っていない。残っていないといえば語弊があるかもしれないが、昭和のにおいどころか前世紀のたたずまいさえ、平野などの自ら残そうという意志を持った町でなければなかなかお目にかかることがない。
 どこもかしこも、テレビのCMでさんざん声を上げて宣伝されている、防火防音耐久にすぐれている割には、ちょくちょく新素材がアピールされて、流行の荒波にはもろく崩れる合成外壁を持って、小さな文字の確かめづらい表札とカメラの眼の備えられたインターホンが通行人ばかりでなく来客をも威嚇している。
 このあたりも例外ではなく、たまにトタン屋根の古びたあばら家があったなと思えば、建設資材を入れているらしい倉庫がわりの建物と呼ぶにもはばかられる、辛うじて屋根のあるだけの小山だったりする。
 そんなある意味では大阪らしい町並みを、別に意識するでもなく一本小道を右手に曲がり、大きく翼を伸ばしたアーケードに向けて歩を進めると、不意に鼻先をある香りがかすめた。
 湯の、それも自宅の貧弱な流しにそそがれるような微々たる量ではなく、もっと満たされた、嗅覚だけでも圧倒的な容積と温度をうかがえる香りだった。
 黒門市場といえば中央卸売市場と並ぶ大阪の名物食品市場だが、福島の中央とは異なりこちらは卸ではなく小売店舗が軒を連ねている純粋な商店街だ。だから、その入口近くに銭湯が営業していたとしても、なんらおかしいところはないはずだったが、商店の大部分が鮮魚屋という黒門市場の構成比を考えれば、タコやタイが真っ赤に浴槽の中でゆでられている光景が湯気の先にかすんで写り、なんともこそばゆい思いがする。
 とはいえ、ただよってくる湯の香りは、普通の銭湯と変わりがない。
 切妻の瓦屋根にタイル張りの外観と、いかにも旧態依然とした銭湯の店構えながら、やはり建物自体はさほど古くもなさそうで、漆喰はまだかすかに輝く白さを残している。
 普通の銭湯といったものの、果たして、前に銭湯に足を運んだのはいつのことやら、指折り数えてみても、両手で足りるか甚だ心もとない。
 それくらい覚束ない記憶をくすぐる、そのお湯の香りは、なんとも心地よいものだった。
 銭湯の湯といっても温泉ではない。ハーブ湯なんてものが流行っていると喧伝されるようになって久しいが、いわゆる町の銭湯でそんなものがあるようにもうかがえない。だとすれば、この香りは、内部でお客の流した石鹸やらシャンプーやら、はては汗や垢、皮脂のまざった生活排水の臭気とも考えられた。
 しかし、それでも、その湯の香りは、なんとも体にしみる芳香に感じられたのだった。
 どうして、こんな香りに、大通りからは少しずれているとはいえ、黒門市場の銭湯に気が付かなかったのだろう。
 そう思ったところで、はたとひらめくものがあった。
 黒門市場を一本西にずれると、北に、つまりは阪神高速に向かう一方通行の大通りが走っている。これが堺筋だ。けれども、その名前よりも、他府県の人々にとってはもう五分ばかり南に行った十字路を基点としてはじまる、通称でんでんタウンの方が通りがよいかもしれない。
 大阪人にとって、日本橋といえば、このでんでんタウンを指す。
 東の秋葉原と比較されることも多い、西の大電器街だ。いや、電器街だった、というべきだろう。
 いまやこのでんでんタウンも、少し規模の大きなシャッター商店街になっている。
 変わったのは原色のネオンをちかちかと点灯させていた軒先が、灰色の重々しいシャッターに色合いを変化させたばかりではなく、町の店舗配置も大きく様変わりした。
 かつての日本橋の中心地は、でんでんタウンの突端からさらに南に五分ばかり歩いた阪神高速は阪神高速でも一号環状線高架のほど近く、通天閣が睥睨する様を直に受け止めねばならないあたりだった。
 最寄駅もその名前の示す日本橋駅ではなく、その一つ向こう、堺筋に沿って走る地下鉄堺筋線の恵美須町駅だった。
 恵比須町駅から広がるでんでんタウンは堺筋ばかりではなく、周辺の細かな路地にまで枝を伸ばし、北に進みつつも弧を描いて西へ、なんばの方へと人の足を誘っていた。
 日本橋駅は皮肉なことに、日本橋でんでんタウンへ行く人間からは、注目の薄い真空地帯となっていた。
 しかし、盛時にはでんでんタウンに五つ以上も店舗を展開していた電化製品屋、ゲームショップの多くは規模を縮小し、もっと多くは看板すら下ろしてしまった今となってみれば、店がもっとアクセスのよい側へ、つまり私鉄の幾線も乗り入れるなんば駅界隈へとシフトするのも理の当然というべきだろう。
 もはや恵比須町駅周辺は電器街の名前ばかりの残すだけで、大手家電商店の跡地が次々とマンションに建て替えられている。
 通天閣の日立マークも取り去られてからも久しい。思えば、堺筋から眺められたあのエンブレムは、日本橋という町を象徴していた。
 そうしてかつて家電商店やゲームショップだった建物は、大手外食チェーンの支店やコンビニエンスストアに変貌を遂げている。
 だが、多くの店は建物を改築する手間と暇もなかったものか、内装をいじっただけで、外観はさほど変わりがない。だから、ついと視線を上に向けてみれば、失われたなつかしい商店の名前が看板もそのままにずらりと残され、ここだけが十年前の装いを張りつけている。
 大阪は古い建物が少ない。もっとも、だからといって、新式の真新しい建物が林立しているというわけではない。
 大部分が土台ばかりをそのままに、上からごてごてと今風の装飾を張りつけているだけだ。
 だから、考えてみれば、先の湯の香も、うわべばかりを変え続けてきた日本橋という町の、そのうわずみの流れた臭気が漂って、そういう世界にどっぷりと首までつかっていた人間の鼻へと誘い込まれたのだから、それを心地よく感じるのも、これまた当たり前の話なのかもしれない。
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