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若気の至れり尽くせり

 落語にはいわゆる芝居噺、芝居ものなどと呼ばれる一連の演目があります。
 もっとも芝居といいましても今の新劇、大衆演劇、ましてやミュージカルなどが登場するはずもなく、歌舞伎ということになります。
 江戸時代の歌舞伎といえば、現在のテレビドラマにも似た気安い娯楽であり、それだけにひとびとの思い入れも強かったのでしょう、様々な個所でさりげなく取り入れられていますが、時代がくだれば嘗ての娯楽もいまや芸術と、少々格式に変化があり、残念ながらその趣向の多くを手軽に味わうことは難しくなっています。
 その庶民の娯楽であった歌舞伎でも、落語で登場するとなりますと、これは九割方忠臣蔵と相場が決まっております。
 ぱっと「七段目」「蔵丁稚」といった演目が思い当たります。
「淀五郎」という噺もそんな内のひとつです。
 落語での忠臣蔵は、現在よく知られる浅野内匠頭と吉良上野介との確執からはじまる赤穂義士の話ではなく、それをモデルとした「仮名手本忠臣蔵」が扱われており、はじめて聴けば人名の差に戸惑うこともしばしばですが、大筋は同じですので、しばらくすれば「なるほど、こういうものか」とあまり気にならなくなります。
「淀五郎」のおおまかなあらすじは次のようなものです。

 大興行にて忠臣蔵全段を演じることになった市川團蔵一座、その中で塩冶判官(浅野内匠頭)に抜擢されたのは、まだ座に加わって間もない澤村淀五郎だった。
 喜び勇んで趣向を考え尽くして、いよいよ臨んだ芝居の初日、ところが判官最大の見せ場である切腹の場面で、全編の主役ともいえる團蔵の演じる大星由良助(大石内蔵助)が奇妙な演出を行い、傍らに近づかなければならない場面でずっと離れたまま芝居を行ったおかげで、非常に間の抜けたものになってしまう。
 芝居が上がり團蔵の趣向の意味をたずねると、意外にも「お前の芝居がまずいから近づけない」と逆に叱責を受ける。
 困ったのが淀五郎で、なにがどう悪いのか考えてもわからず途方に暮れるばかりで、寝ずに別の芝居の型を考えて翌日に臨んでみるものの結果は前の日と変わらない。
 改めて團蔵のもとに行き理由をたずねてみてもやはり昨日と同じく自分で考えろの一点張り、やがて「考えてわからないようならいっそ舞台の上で本当に切腹して死んでみせろ」とまでいいだす始末。
 なにしろ血気盛んな若手の頃、その場では一言もなくとも内心憤懣やるかたなく、「それなら死んでやる。いや、その前に團蔵に一太刀浴びせて」などと物騒な思いに駆られだす。心が決まれば動かしようもなく、この世の暇乞いにと、世話になったやはり当時の名人中村仲蔵のもとに挨拶に向かうが、そこで團蔵の真意を伝えられたうえで淀五郎の短慮を諌められる。そして淀五郎の芝居の足りない点を指摘され、にわかに開眼し塩冶判官を演ずる肝を習得する。
 やがて明くる日、三度切腹の場におもむき、ついに掴んだ芝居の型でもって塩冶判官を演じきり、團蔵もそれを認めてふたりの息がぴたりとあった舞台が出来上がる。

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テーマ : 落語 - ジャンル : お笑い

林家たい平のこの一席

「この一品」というものをどなたもお持ちかと思います。
 あくまで享受者としてのスタンスからですが、この歌手ならこの曲、この画家ならこの一枚、この小説家ならこの一話……。
 水が合うといいましょうか、自分の感性とぴたり合致して、そのひとつをきっかけとして作家全体を見る立ち位置が定まる、あらゆる起点となってくれる一品です。
 大体、そういうものに出会いますと、強烈な感銘に打たれて、「これは!」というひとことが口をつかずとも響いてきます。
 林家たい平師匠の「不動坊」を初めて聴いた際に起こったのが、まさにこの「これは!」でした。

「不動坊」もしくは「不動坊火焔」は、もとは上方落語の一席でしたが、三代目柳家小さん(漱石が『三四郎』でとりあげたあの小さんです)によって関東に持ちこまれ、現在では上方・江戸、どちらでもかけられる噺となっております。
 演題の不動坊とは講釈師の名前なのですが、当人は噺の中に一切登場しません。それどころか、噺の開始されるひと月も前に旅の果てに客死したことがさらりと告げられて、それっきりでどんな人物であったのかの描写ひとつありません。
 いえ、たったひとつ、芸事に生きる人間の常として、大きな借金を拵えていたことが明かされます。

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桂歌丸師匠の噺を二席

 Twitterをやっておりまして、何気なくつぶやいたことが、思いもよらず反応をいただき驚くことがあります。
 今日も昼ごろに他の方が桂歌丸師匠の話をされていたので、なんとなく師匠の噺はゆったりと鷹揚なものが聞いていて心地よくて好きだというようなことをいいますと、それがいくらか注目を集めておりました。
 最初は意外に思ってはいたものの、しばらく考えてなるほどと合点がいきました。
 桂歌丸といいますと、笑点のある種顔のような方ではあり、興味関心を引くことが多いのは自明です。そのうえで、今のように落語が決してポピュラーな演芸ではない時代では、興味があるもののなにから手をつけていいか見当がつかないということになるのでしょう。
 そこでみなさんの好奇心の触手に私のような場末のつぶやきも引っかかった、といういきさつだと考えると納得もいきます。
 そこで乏しい知識ではありますが、個人的な愛聴盤を紹介いたしまして、本日の話題に替えさせていただきたいと思います。

 桂歌丸師匠の録音は主にテイチクとソニーから出ておりますが、テイチクの方は『真景累ヶ淵』と『牡丹燈籠』という怪談のCD何枚組にもなる大ネタで、聴く側もかなり腰を据える必要があります。
 ソニーのから出ているのは東京の有楽町朝日ホールにて毎月1回行われている「朝日名人会」の音源を商品化したもので、桂歌丸をはじめとした当代の名人上手が名をつらねております。
 そのうちTwitterでも書いた『左甚五郎 竹の水仙』がまずは筆頭に挙げたい噺になります。
U_02_FC.jpg 日光東照宮の眠り猫でおなじみの名工左甚五郎を主役にあてた一席で、旅の途上で路銀を使い果たした甚五郎がさんざん飲み食いをした宿屋に自慢の腕を振るって代金と替えるという、あらすじだけ取り出しますと「抜け雀」に近い構成の、かといって衝立から絵に描いた雀が跳び出すという派手がましい趣向もなくどちらかといえば抑えめな噺となっています。
 ところがこれが桂歌丸という演者の手にかかると無性におもしろくなるのですね。
 まずは登場人物の作りがいい。左甚五郎こそ天才肌の職人にありがちな俗世間と無縁なステレオタイプで語っていますが、その相手をする宿の亭主が、いかにもうだつのあがらない人のよさそうな、けれども決して馬鹿正直という風でもない、いかにもどこかにいそうな男に仕立てており、口吻を聞いていて首をかしげるということがありません。
 私は特にこの亭主の、左甚五郎が無一文と知ってから「おい、一文無し」と呼びかけるいい方が好きなのですね。決して居丈高にならず、腹立ちはもちろんあるのですが、相手への親愛もどこかにおわせる口振りで、強い言葉がそう聞こえないところに芸の奥深さを覚えます。
 そしてそういう人のいい亭主とくれば、気の強い女将さんというのは定番ではありますが、ここでも決して高圧的にわめきたてるヒステリーとはせず、直接そういうセリフも描写もありませんが無一文の客をどこか気の毒に思っているような雰囲気をにおわせていていやみがありません。
 さらに結末近くで登場する、甚五郎の細工物を購入しにくる侍が、いかにも奉公以外になにも知らないくそ真面目な堅物で、やはり士農工商という時代にあって権威をかさに着るのではなく性分としての真面目さ故にずれた行動をしてしまうのがわかり、やはりいやな気分にならずにその言動を聴いていられます。
 これらのひとびとのやりとりが、聴いておりまして楽しいのですね。爆笑につぐ爆笑というのではなく、疲れることなく心地よくずっと聴いていられる。
 起伏の大きくない噺ですが、それがかえってじっくりと登場人物同士の掛け合いに耳を澄まさせて、終わった頃には落語というものを堪能した気分にさせてくれる肩は凝らないのにボリュームのある一席です。

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時空を超える志の輔

 先週の『日立世界ふしぎ発見』で立川志の輔師匠が現地レポーター役で出演しておりました。
 見ることができたのは番組終了間際の数分だけだったのですが、ずいぶんと貫禄のついた姿を目にしているうちにむくむくと志の輔熱が沸き立ちまして、ここ数日はもっぱら師匠の落語CDを聴いておりました。

 立川志の輔はご存知五代目立川談志によって率いられた落語立川流の一員です。
 もっとも、多くの人にとっては、NHKの『ためしてガッテン』の司会者といった方が通りがよいかもしれません。(ちなみに私にとっては『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のナレーションの人でした)
 そのテレビの中の人が、名実ともにそなえた落語家であったのを知ったのは少なからぬ驚きでした。
 なんとなくいわゆる名人と呼ばれる落語家という人は、高座に上がるのを専らにしていて、テレビなどのマスメディアには登場しないと思っていました。それだけ落語という演芸から縁遠かったのですね。
 実際、数を聞くようになって落語にも少し馴染んできたかなと思えるようになった頃から、テレビやラジオでお名前をうかがう落語家のみなさんが、本業の方でも名人上手といわれる方々なのだとわかりました。
 まあ、そのあたりは余談といたしまして。
 立川志の輔の落語のひとつの特徴は、常にどこか変化を求めているところにあります。
 例えばサゲを変えるとか話の筋立て自体を整理するといったものから、会話のひとつをいじってみるといったところまで、大小様々ではありますが、時代に即した変化を噺につけようと腐心されています。
 それは戦後すぐの創作落語にありがちだったような、昔からある噺の道具立てだけを現代風に設えるといった、時代に即しているように見えて実際は時代に迎合しているだけのものと異なり、噺の持つ現代性を損なわないために時代めいた部分を改める、噺とも時代とも真正面からぶつかりあった格闘ともいうべきものです。
 私がぼんやりとではありますがその奮闘の雰囲気にあてられたのは、以前このブログでも紹介いたしました「死神」であり、また「新・八五郎出世」と題された演目でありました。
「八五郎出世」は「妾馬」とも題される噺で、大名の側室となった妹がお世継ぎを産んで位が上がりそのおかげをもって大工の八五郎も士分を得て出世するという筋立てでありますが、このいかにも時代劇的な噺を、志の輔は最も注目すべき点を八五郎の立身出世ではなく家族の絆にとり、そこから改作を行って時代設定こそ江戸の昔においたままで、見事に現代の観客の胸にも沁み入るものに仕立て直しました。
 この過去と現代の往来を可能にさせてくれる感覚が、志の輔落語に熱中させてくれる要因なのかもしれません。

 そしてこのあたりの感覚は、創作落語にも表れており、志の輔の師匠にあたる談志が「古典落語は生まれた時から古典だった」という旨をよく語っておりましたが、これは正鵠を射ているところが多く、実際、我々の耳にする機会の多い噺でも、成立は案外新しいものも数あります。
 時代をまたぐ感覚が、耳にする者をして普遍的なものに触れさせるのでしょう。
 特に「みどりの窓口」は、清水義範の小説がもとになっているものの、見事なまでに古典の息吹きを内包して落語に作り変えています。
 仮に今後鉄道のみどりの窓口がなくなったとしても、お役所仕事と人間の自己中心さがなくならない限りここにこめられた諧謔は有効だと確信させられる噺であり、ここからも志の輔の時代を見る目の確かさがうかがえます。

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ヤブ医者三昧

 桂枝雀が好きなんです。
 いろいろとお気に入りは多く、好きなところを数えるときりがないのではありますが、その魅力の大きな要素のひとつにマクラがあります。
 桂枝雀は決して器用な噺家ではありませんでした。
 自分の持ちねたを六十にしぼり、時期によって異同はありますが、それでもこれまで出ている枝雀の音源を並べてみますと、概ね同じ噺がズラリと並んでいます。
 このあたりの加減はマクラにも表れておりまして、枝雀のマクラはいくつかのパターンを使いまわしています。
 ところがそれが欠点になるわけではなく、日が違い場所が異なると、同じマクラでもまた耳に入りようが変わってくるのですね。
 このあたり専心の妙技という感じがします。

 個人的にすごく好きなマクラは、ヤブ医者のタイプ毎紹介で、分類好きな枝雀はここでも得意の解釈眼をひらめかせて、3種類のヤブ医者を演じてみせます。
 まずは陰気なヤブ医者で、ボソボソと喉の奥で言葉少なくつぶやいていきます。
「はい、それでは胸の検査をしますから、私のいうとおりに呼吸してください。はい、吸ってください。はい、吐いてください。はい吸ってください。はい吐いてください。吸ってください。吐いてください。吸ってください。はい。吸ってください。はい。吸ってください。吸ってください。吸ってください吸ってください吸って……お顔の色が悪いですよ?」
 次にやたらと元気なヤブ医者。これはもうそのまま跳びあがるんじゃないかというくらいの勢いです。
「はーいー。どうしたどうしたどうしたー? なぁにぃー? 風ァ邪ひいたぁ? このバカ」
 そして最も実害の大きそうな、なんでも手遅れだというヤブ医者。
「なんでこないになるまで連れてこんかったんじゃ! 手遅れじゃ」
「なんでこないになるまで連れてこんかったんじゃ! 手遅れじゃ」
「なんでこないになるまで連れてこんかったんじゃ! 手遅れじゃ」
「いやいや、これ今屋根から落ちたんでつれてきたんでっせ。わて、前から先生にゆうてやろうやろう思うてましたんや。あんた、いつ連れてきても手遅れじゃー手遅れじゃーていいますやろ。つい今落ちたところのやつでも手遅れでしたら、いつ連れてきたらようおますねん」
「屋根から落ちる前じゃったらよかったんじゃがのう」

 私の文章だと他愛なく写るでしょうが、これが枝雀の口ぶりと手振りがあわさりますと、間といい声音といい表情といい抜群におかしく、ただし爆笑とまではいかず、本題の噺への準備を整えさせてくれるんですね。
 実際のヤブ医者は困りますが、本番を引き立ててくれる不調法ならありがたいものです。

 このヤブ医者づくしのマクラは、現在入手しやすいところですと『枝雀落語大全 第十一集』の「ちしゃ医者」に収められています。
 マクラに負けず劣らずのヤブ医者の出てくる噺ですが、枝雀のやさしい目線が、ずいぶんとあたりを柔らかくしています。
 併録は「饅頭こわい」。このブログでもちょろっと書いたことがありますが、上方落語での同演目は大ネタで、ただ単にまんじゅうを怖がる男をとりまく滑稽噺というだけでなく、妖異譚あり怪異譚ありの怪談噺の様相を呈する盛りだくさんの内容になっています。まだ聴いたことがないという方には強くおすすめしたい題目のひとつです。
 どちらも枝雀の提唱していた緊張と緩和のよく表れる噺で、枝雀を初めて聴くにも適した一枚です。

テーマ : 雑記 - ジャンル : 小説・文学

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